KORANIKATARU

子らに語る時々日記

会議名を「わしデビ」という

水曜日、大阪の美術学校にて毎月恒例のミーティングが行われた。 学生らで編成されるデザインビジネスチームとの打ち合わせであり、その短縮語であるデビに鷲尾院長の頭文字を冠し会議名を「わしデビ」という。 学生らの自由で斬新な発想に期待を寄せてはじ…

眠れないときには思い出にふける

夜中に目が覚めもはや眠りの世界に戻れそうにない。 仕方ないので起きることにした。 身支度をし作り置きの朝食を食べる。 が、困ったことに、食べた途端に眠気が襲ってきた。 何も無理することはない。 早朝からの仕事を余儀なくされたのは昔のこと。 寝て…

未知の魅力が身に沁みた

ちょうどお昼の時間にあわせ顧客先を訪れた。 目当ては讃州。 あびこ観音寺近くにある蕎麦屋である。 ここの天ざるがやたらと美味しく、前回同様、事業主を促しここで昼を食べる魂胆なのだった。 事業所であらかた用事を済ませ、では昼にしようと誘われた。 …

いきなりスラッガーが現れた

午後6時半、上新庄駅で電車を降りた。 花屋を探しつつ、折り返しの電話をかける。 2本目の電話を終えたとき右手に花屋を見つけることができた。 開店祝いの花束をお任せで、と頼み花が仕上がる間も電話を折り返す。 鳴らないときは鳴らないが、鳴るときは…

非の打ち所がないという退屈

仕事仲間の話を聞いて驚いた。彼が属する世界はわたしが日頃接し見聞きする場の相貌とは全く異なっていた。 無意識のうち同一視しているだけで、ひと回りも歳が下になると別世界。思考も感性も違って当然という話なのかもしれない。 最近、彼の友人の間で離…

今は昔、男3人間近で机に向かった

朝、大ぶりの雪片がわんさと舞い、起き抜けから視覚がしゃきっと活気づいた。 雪降る二号線を東に向いて走り、三連休最終日も長男と過ごす。 思えば小4に差し掛かろうという頃のこと。 サルも同然というほどに動き活発ではあったが、果たして勉強ができるの…

一種の運転教則のようなもの

リビングで誰と顔を合わせるか。 時間帯によって異なる。 このところは早朝か深夜。 二男がリビングで過ごす時間は限られている。 気づいた時たいてい彼はすでに出かけていて夜は遅くなってから帰宅する。 だから今朝、二男と朝食をともにしたのは久々のこと…

決め兼ねたときには総取り

大和路線に遅れが生じ、時間調整のため大阪駅で長く停車したその分、JR環状線の混み具合は凄まじいものとなった。 すし詰めの満員を回避しようにも、次の電車は更に遅れているというからおそらく同様に超満員であろうし、第一、そんな後ろ向きの選択をすれば…

深夜の車内、大昔の小窓が開いた

夜10時半、クルマ走らせ家路を急ぐ。 助手席には上の息子。 FMからニニ・ロッソの「水曜日の夜」が流れ、だからわたしは彼に昔話を語って聞かせることになった。 大学生の頃のこと。 サークルの先輩トミーさんはまったくモテなかった。 現状打開のためトミー…

大阪下町のソースの匂い

夕刻、ハンドルを握る家内の頭に思い浮かんだのが風月だった。 クルマで5分ほどの距離にいたのだから無理もない。 わたしも大賛成であった。 午後6時であればまだ夕飯には早いのだろう。 待たされることなくテーブルに案内された。 お好み焼きと焼きそば大…

これもまた何かの縁という力学

訪問先の会社の前。 クルマを停めたのも同時であったし、降りたのも同時だった。 ひと目で相手が今日面談予定の事業主の母だと分かったので会釈した。 先方も会釈を返すが視線は強い。 業界の作法なのかこちらをぐっと凝視してくるので軽く気圧された。 いわ…

おいしい生活

やはりシャトルシェフは家内にとって強力な武器として機能した。 先日のおでんに引き続き、今回は参鶏湯がシャトルシェフによってより一層深みある美味な一品に仕上がった。 投じられた鶏肉がふんわりとほぐれてスープがとろとろ。 滋養強壮効果抜群でかつ美…

雨の日曜、海に向かって歩く

午後1時過ぎ、明石駅で待ち合わせた。 西から明石に入ったわたしが先に着き、改札で待っているとまもなく東からの電車に乗って家内がやってきた。 ビニール傘を差して日曜の明石の街を海に向かって歩く。 気温は15℃。 春である。 菊水鮓の引き戸を開けカウ…

鏡に映るもう一人の自分

ジムを終え、昼前に家内と待ち合わせた。 地元自治会の会合が土曜朝から行われていて、家内は町内担当として出席していた。 周辺の各小中高の校長先生らも顔を出したというので、一体何が話し合われたのか興味が湧いた。 しかし家内によれば特に議題といった…

忘我であれば、ないも同然

忙しければ忙しいほど、後に残る記憶は僅かなものとなる。 ああ終わったという感覚だけが残り、しかし、一体何が終わったのかについての認識は覚束ない。 手応えのようなものは多少あっても、入口から入ってすぐ出口といった呆気なさの方をより強く感じる。 …