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KORAIGAINIMOKATARU

子らに語る時々日記【抜粋】

健康やったら、それでええねん

健康やったら、それでええねん。

うちの母の口癖だ。
幸い、母は70歳を過ぎてなお健在。
母の子4人はわたしを筆頭にいまやまとめて40歳を過ぎたが、揃いも揃っていたって健康。

だから、それでええねん、となって、うちの家族は仲がいい。

母については苦労の絶えない人生であったと思う。
わたしたちの時代とは比べ物にならない。
うちの子らの時代など、さらにぬくぬくとしたようなものだろう。

厳しい時代を生き抜いたからこそ、シンプルな達観に至った。
健康やったら、それでいい。

わたしも心からそう思う。
家族みなが健康で、朗らか暮らせればそれに優るものはない。

いがみ合うことなく互いいたわって、みなの健康を感謝するような気持ちで生きられれば、どれだけ幸せなことだろう。

しかし、一体全体なぜなのか。
ある種の人々は大挙して必至の形相であれも欲しいこれも欲しいと渇望し、ある種の人々は自分のガワをよく見せたり羨望されるために苦心惨憺する。

どれだけ事がうまく運んだところで何でも手に入るというようなことはなく、ガワをよく見せたところでたいていの人は他人のことなど気にしてやいない。

わざわざ苦労して慢性的な欠乏感に苛まれているようなものであり、そのうち毒がまわって、世を呪って人に祟る。
とても笑える話ではなく物悲しい。

下町の路地にいた少年を思い出す。
いるはずのない架空のショッカーに挑みかかるも反撃されて、「うえー、やられたぁー」と彼はひとり苦悶していた。
その一人遊びがなんだか孤独で気味悪く、痛切な感じでいまもわたしの記憶に残っている。
空想の主はその少年自身、なんでわざわざ負けるのか、バカなのか。

その少年は長じてもなお今もどこかで負け続けているに違いない。

どのみち最後には誰だって気づくはずである。
健康であればそれでいい。
それで十分満足で、それがとても嬉しい。

子を持つ親として、母と同様、わたしも言おう。
健康やったら、それでええねん。

子らが、シンプルな幸福感のもと健やかに暮らせますように。
いつか出会う彼らの伴侶もそうであれば、なお喜ばしい。