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KORAIGAINIMOKATARU

子らに語る時々日記【抜粋】

机が時間の海を渡っていく


巨大な丸テーブルをお役御免とし業者に引き渡した。
直径150センチ、重心低くリビングに佇んできたそのテーブルは子らにとって受験勉強の主戦場であった。

作業効率は広々としたスペースと強い相関がある。
もちろん勉強についても同様のことが言える。

子らが思う存分勉強に取り組む上でこのテーブルが果たした役割は果てしなく大きかった。

数々の思い出は各自の胸にしまい込まれることになった。
さようなら、そしてありがとう丸テーブル。

勉強の前線は各自の部屋へとすでに移っている。
我が家のリビングは今後はくつろぎの場としての機能を充実させていくことになる。


机というものに対し人一倍の思い入れがある。

子の机を買ったのは彼らがまだ幼い時分であった。
ちょうど物心つき始める頃。

机との出合いは、世界と遭遇し始める最初の記憶群のなか、真っ先第一列にくるべきであろう。
そう考え最上等の机を探して各々の部屋に設えた。

子には贅沢すぎる、勿体無いという話は当たらない。
そこにつぎ込まず一体全体他にどんなお金の使いみちがあるというのだろう。

質素朴訥であるが頑強そのもの。
その無骨さが生涯を伴にする子の従者として頼もしい。

幼少から中学に入るまで結果的にはほとんど使われることのなかった机であるが、日常の光景に恰幅のいい机が自分のものとして存在してきたことは、先々において大きな意味を持つことだろう。

そのことにいつか気づくことになる。


私が小学校に入ったときのことだった。

狭く小さな我が家に学習机がやってきた。
貧乏な家のなかその机は映えた。

祖母が買ってくれたものだった。
今思えば凡庸で、凝れば凝るほど使いづらい附属過多な子供だましの机であったが、私の記憶の中、間違いなくそれは最前列に位置しいまもキラキラ光り放つ存在だ。

昼も夜もなく働き通しだった祖母の願いのようなものに思い当たったのはずいぶん先になってからのことであった。
机を思い出すと祖母の面影も一緒に蘇る。

中学に入ったとき、父が机を買ってくれた。
でかく頑丈、重厚な机だった。

机は、知識の海へと漕ぎだしていく船のようなもの。
私にとっては母艦のような場所となった。

いまも実家にあって、そこはいまも変わらず私の場所であり続けている。


価値観や人生観といったような思想的なものだけでなく、生活スタイルといった具体的なものも親から子へと包括的に引き継がれていく。

机も勿論そこに含まれる。
男子にとって主な居場所が机となる。

机がどのような意味を内包しているのか。
私の祖母が込めた願いのようなものが、私を橋伝いにして、子らにも伝わっていく。

机が思いを乗せて時間の海を渡っていく。
その様子が目に浮かぶかのようである。

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