読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

KORAIGAINIMOKATARU

子らに語る時々日記【抜粋】

飛沫がもとの水の流れに還るように

46億年前、誕生したばかりの地球は荒れ狂う熱の塊であった。
飛来し続ける隕石に含まれていた酸素原子や水素原子が地上で弾けて上空に吹き上げられ、原始の地球は、厚い雲に覆われるみたいに大気の素に包まれた。

太陽の光を遮られ、徐々に地上の熱が収まっていく。
そして、37億年前、冷えた大気の素が一挙に雨となった。

太古の雨は、滝のように何年も降り続いた。
想像を越えるような弩級の豪雨であったことだろう。

当時降った雨が、水の起源となった。
まさに恵みの雨。

そのとき地上に振り注がれた雨が、水蒸気となり雲となりまた雨となって循環し続けている。
水の総量は、37億年経った今も同じままである。

級友の死に触れて、きょう君が言った。
「僕が死んだときは、近親者のみの、通夜と形式的な簡素な葬式で済ませて欲しい。残された人たちのために、なんらかの儀式は必要だろうから、友人、恩師、先輩後輩、仕事関係の人たち、教え子たち、みんなで飲み屋貸切でお別れの会してくれたらええかな。墓は要らない。骨は海にまいてくれたらそれで良い。あの世も前世も天国も地獄も生まれ変わりも無いと、一度死にかけてから確信しているので」

そのような話を聞いて、水の起源のことが浮かんだのであった。

人を一人一人個別に括った捉え方は実は本質を見誤るようなものなのかもしれない。

水のように実は「人という物質」は接続していて、たまたま水に波形や飛沫があるように、そのようなたまさかの一断片が、個というような認識のされ方をしているだけなのではないだろうか。

ある波形や飛沫となったとき、意識のようなものがどのような訳でか発生し、実は、これは一瞬の現象に過ぎず、波形や飛沫が元の区分のない水に還っていくのと同様、やがてはならされ意識も消えていく。

だから、海にまいてくれ、というのは、最も本質を捉えた生の帰着だと言えるのではないか、そのような気がしてくる。

やがてはいつか皆、一人残らず、水へと還る。
ほんの一瞬であれ飛沫となれた奇跡を噛み締めたいような思いとなる。

f:id:otatakamori:20150716084125j:plain