1
酒屋の兄弟に二人の女性が嫁入りした。
以来、兄弟に亀裂が入り、修復の見込みがない。
2
長男が先に嫁を娶り、一年をおいて次男が続いた。
長男の嫁は大卒であったが、次男の嫁は高卒であった。
商売に学歴など関係ない。
皆が近接の場に住み、仲睦まじい交流が生まれた。
長男が家業を継ぎ、次男は暖簾分けの酒屋を隣町で営むこととなった。
地域に根ざし、安定的な経営が続いてきた老舗名店であった。
固定客を兄弟で分け合った。
その頃から、嫁同士の諍いが絶えぬこととなった。
幼い頃から仲のいい兄弟であったが、次第に疎遠となっていく。
今では直接話すこともなくなった。
挙句、それぞれが相手の悪口をあちこちで言いふらすような関係となってしまった。
見るに見かねて、両親が割って入って仲裁しようとしたが火に油を注ぐだけとなった。
両親は年老い病がちで、あれやこれや不自由することもあるけれど、どちらの嫁も実家を訪れることが一切なくなった。
兄弟が時折お互いを避けるように別々に実家を訪れるだけとなった。
鬼の目を盗んでこっそり孫を連れて行くと両親は喜ぶが、どちらの鬼、いや嫁も子を連れて行くことについていい顔をしない。
3
聞くところ、どちらの嫁も見栄っ張りのええかっこしいだという。
複数情報なので、これは確かなことのようである。
常に誰かの上に一枚被せないと気が済まないといったええかっこしいだというので、家族だけでなく、関わる者すべてにとって不快で傍迷惑な存在だとも言えるだろう。
長男嫁は大卒なので高卒の次男嫁を見下す。
一方、次男嫁は、実家はうちの方が金持ちだと長男嫁を見下す。
おそらくは事業継承や暖簾分けなどの過程で、互いの「見下し」感が白日の元に晒されることとなったのだろう。
その不穏に対し両方の夫は尻に敷かれるばかりで取りなす術を見い出だすことができなかった。
何かぎこちないといった程度の静かな諍いが、罵り合いへとエスカレートするのに時間はかからなかった。
嫁同士が角突き合わせ、そこが境界線となって家族は両陣営に真っ二つ引き裂かれることになった。
両親などいつ相手の味方となるか知れたものではない。
ならば仮想敵。
どちらの嫁からも爪弾きとなった。
4
私自身にも息子が二人いるので、このような話を聞くと両親の心情は如何ばかりかと胸が痛む。
なんで仲のいい兄弟が、疎遠となるだけでなく、憎しみ合わなければならないのだ。
しかし、こんな話は世間に掃いて捨てるほど転がっている。
誰であってもこんな災難に降りかかられることがあると、知って備えておかねばならない。
女性のエゴが牙むけばもう手は付けられない。
あたりが焼け野原となるまで、火炎放射は止むことがない。
巻き添えとなる犠牲者含め全滅となる。
牙むくかもしれないエゴのキャリアーを注意深く見極め、孔子が説くとおり「敬して遠ざける」ことである。
うっかり引き入れてしまうと、家族全員お陀仏となる。
5
「発牙」傾向を見極めるポイントは「その人のスノッブ性」、まずはそこに尽きるだろう。
スノッブというのは、語源たどればイギリス由来であり辞書にはこうある。
Snob:
A person with an exaggerated respect for high social position or wealth who seeks to associate with social superiors and looks down on those regarded as socially inferior.
実はそうなのかと知ればいちいち全部が鼻持ちならないヤツである。
これにヤンキー性という動力が加味し具体的な対象が出現すれば、道理引っ込むほどのハチャメチャな他罰アクションが炸裂することになる。
スノッブよりヤンキーの方がましだと世間で言われるのは、ヤンキーがあくまで導火線にマッチ擦る程度の散発的な衝動に過ぎないのに対して、スノッブについては現状否定のための尽きない火薬の役割を果たすからである。
「敬して遠ざける」ことが最大の防御となる意味が理解できるだろう。