1
たまたま早い時間の帰宅となった。
長男が夕飯を食べている。
色とりどりの天ぷらをサイドに盛ったつけ麺、牛肉の卵とじ、それに野菜スープ。
なんて凝った手料理なのだ。
それに加えて刺身盛り合わせまで添えられている。
こんなものを当たり前のように食べていれば口が肥えるのも無理ないことだ。
素材や味付けについていっぱしの口もきくようになったことも頷ける。
そのうち自ら料理し始めるのではないだろうか。
隣に腰掛ける。
私の前に差し出されたのは、焼き魚、きんぴらごぼう、豚しゃぶ付きの湯豆腐。
どう見ても長男の方が豪勢であるが口には出さず、代わりに河内ワイン白を一口含んだ。
実に美味い。
2
長男がツイッターを始めた。
実際の投稿をこの目で確認したので間違いない。
ツイートもフォロワーも既にそこそこの数となっている。
食卓ではそのことに触れない。
私はツイッターをやめた口である。
家内の手前、トピックは選定しなければならない。
伝えたいことはここにメモしておこう。
いずれ目にすることだろう。
ツイッターだけでなく、ネットの世界に踏み込んでいくのであれば知っておかねばならないことが2つある。
ネットの世界は、ウソだらけであり、強い自戒を込めて言うのだが、アホだらけであるということだ。
ウソとアホ、この二つのキーワードを絶対に忘れぬようしなければならない。
3
まともな世界で生きていると世の中にどれほどウソつきが溢れているかなど知ることがない。
ウソはつくなと教えられ、それほどウソを必要としない環境で育った人間はウソに免疫を持たない。
こうまで真剣に力説しているのだから、きっと本当だろう。
微に入り細にわたって話に全く矛盾がない、こんな話がウソのはずがない。
このように、見事あっさり「ホント」に違いないと判断の針が振れてしまいがちになる。
しかし、驚天動地、世はウソに埋め尽くされている。
背筋凍るほどにウソだらけなのだ。
真顔平気な顔してウソつく人間がどれほど多いことか、繰り返すが驚天動地。
ホンマでっか?
ウソとちゃうちゃう、ホンマやねん。
見事にウソつくことを武勇伝のように語る営業会社まであるくらいだ。
経済をまわす一つの必要悪とでも言えるほどにウソは普遍的な存在なのだ。
直に相手と対面すれば、仕草や言葉遣い、肌ツヤ、目の動き、カラダの揺れ、服装、様々な要素から、アラを探せる可能性もある。
しかし、ネットとなれば、情報が一次元すっぽり遮断される。
言葉だけで、推し量らねばならない。
これは簡単なことではない。
だからネットにおいては、端からウソかもね、という警戒のセンサーを常時ONとしておかねばならないのだ。
ホンマでっか?ではなく、ウソかもね!、という検討が常に欠かせない。
小ウソ程度は楽しんだとしても、騙そうと仕掛けてきた場合には金輪際疎遠になった方がいい。
4
そして、アホにも注意が欠かせない。
ウソと血縁のアホもあるので、この場合は警戒警報発令し寄せ付けてはならない。
誤解してほしくないのだが、
自分は賢いのだが、アホが多くて困るよねという相対的な比較を持ちだして優越感に浸ろうという趣旨の話ではない。
ネットの世界では、絶対的なアホが跳梁跋扈しているのである。
ウソかもね!
ウソとちゃうちゃう、ホンマやねん。
絶対的な悪、が相手なら気も張って関わらぬよう頑なとなれるが、絶対的なアホとなれば油断してうっかり相手してしまいかねない。
そこを踏みとどまらなければならないのである。
道端でなら絶対に取り合わないような風体の相手でも、ネットでならついつい口を聞いてしまうということがあり得る。
これが面倒を引き起こす。
アホに付け入られると、自らの穏やかなネット世界を荒らされかねず、仲間にまで迷惑かけることすら起こりえる。
気色悪いと感じる相手には返事しないこと。
絡まれても、一切受け答えせず、無視すること。
奇怪なやりとりで悦に入っているような人の輪には立ち入らないこと。
そんな場に出くわしたら戸を静かに閉めすぐに立ち去ることである。
踊るアホウに、見るアホウ、同じアホなら踊らにゃ損損、と絶対になってはいけない。「アホはホットケ、ホーホケキョ」、武士道を説く葉隠の教えを遵守することである。
彼らは相手にされたい、触られたい、見られたい一心だけの存在なのだ。他者のことなどこれっぽっちも頭にない。
自らの悲惨でみすぼらしい姿をネットでは表沙汰にせずに済む。
ネットでは、自らが置かれた境遇を、いったんチャラにして、別の人間として好き勝手に振る舞える。
気弱な人間が酒を飲んで勢いづくように、無口で影薄く鬱屈した人間がネットでは意気揚々と勇ましく雄叫びを上げることができる。
匿名であれば、わーい自由だと、更に空まで飛びかねない。
彼らはそうやって日頃の鬱憤を吐き出し溜飲を下げる。
ネットも含めてそこが現実社会のなかであることをすっかり忘れ、エスカレートしてろくでもない言葉の暴走族と化し仮想空間を風きって突っ走る。
だから、実世界ではたき落とされたみたいに、ネット世界でもはたき落とされれば、狂れたみたいに荒ぶり怒る。
ネットにおいて何者かになったみたいに勘違いし、現実世界に身を置いていることを忘れ道理が通らなくなった者達を絶対アホという。
関われば、相手を勢いづかせかねない。
アホの増殖に一役買うという不本意な結果となる。
取り扱いは難しい。アホにしがみつかれての消耗戦ほど無為不毛なものはない。
自分たちの健やかな世界に万一紛れ込んできたら、相手するのではなく無視しておくに越したことはない。
「走る場所がない」と諦めれば、やがて他所へと去っていく。
5
日頃、戸締まりして暮らすように、ネットの世界においても、戸締まりを怠ってはならない。
開けっ放しにしてしまうと、本当に迷惑な奴が飛び込んでくることがあるのだ。
そうなれば、静か味わう楽しい食事どころの騒ぎではなくなってしまう。
上記したこと肝に銘じておくことである。
もちろん自らが知らず知らずであってもウソの発信者となったり、アホウの張本人になるのであれば論外だ。
ネット世界においても、普段通りの慎み深さと隣人愛を持って振る舞わなければならない。