KORANIKATARU

子らに語る時々日記

花粉症レーザーのおかげで春を満喫


Joanna Wang を聞きつつ、色づき始めた桜で賑わう武庫川沿いを北上する。

かつて西宮警察近くにパンの名店ムッシュアッシュがあった。
解放感に浸る土曜朝、そこへ向かう道すがらFMからふいに飛び込んできたJoanna Wang の歌声に陶然となったのは7年も8年も前のことだったろうか。

パソコンのハードディスクを整理していて思いがけず当時べったり聴きなじんでいた曲達の一群を見つけ、早速iPhoneに取り込み、車中Bluetoothで流すのだった。

夕刻の時間が迫るがまだ日は高い。
信号待ちのとき、ふと雲ひとつない空を見上げた。

伊丹を離陸した飛行機が武庫川上空で東へと旋回するのが見える。

青空の向こう、海流のように吹く風に優雅運ばれる飛行機の様子に目を奪われる。
そんな光景にJoanna Wangがしっとり馴染む。


左へ折れれば自宅だが、まだまだ仕事。
右に折れ大阪へ向かう。

尼崎を経て大阪となる境目、その四つ角に安っぽい着ぐるみのパンダが立っている。
べったり張り付いたニコニコ笑顔で愛想よく手を振っている。
クルマの部品ショップがあって、そこへ客を誘うためにパンダ君は奮闘しているようだった。

しかし、あまりに貧相に映って逆効果にしか思えない。
やせ細ったパンダの風体が、終始笑顔の背後にある真実を隠しようもなく告げ知らせてしまう。

どんな人が中にいるのだろう。
この陽気のなか暑くないのだろうか。
体調は大丈夫なのか。
家族はあるのだろうか。

そのように、そこを通りかかる人々の意識は、パンダ君の内奥の闇のなか、その真相へと突き進んでしまうに違いなかった。

これでは、着ぐるみの意味がない。
どんな無邪気な子供を相手にしても興を惹くことは難しいだろう。

春の陽気のなか、少し物悲しく、しかしそんな光景にも、やはりJoanna Wangがしっとり馴染む。


今年も花粉症は軽度で済んだ。
3月も半ばを過ぎ、もはやスギ花粉は、弱体化の一途をたどり敗走の途についたかのように見える。
かつて世に憚った姿など見る影もない、虫の息の反乱軍に対するような憐憫をさえ感じる。

わしお耳鼻咽喉科でレーザー処置を受けたのが昨年1月。
ものの10分、あっと言う間の処置で、二年持つ。

レーザーによって花粉症の悩みが大幅に軽減された。
学生時代から手放せなかった鼻炎のクスリを、ここ数年、一粒も服用していない。
これは春に対する意識が変わるほどのこと、つまりは革命的な変化であると言っても過言ではないだろう。

ああ、春の薫り。
胸いっぱい、今が旬の空気をこれでもかと鼻から吸い込む。
ついでにJoanna Wangの歌声も一緒に流れ込む。
なんと清々しいことだろう。


夜の締めくくりは、ジム・キャリーのダム・アンド・ダマー。
我が家男子三人笑い転げて過ごす。

こんな笑ったのは久方ぶりのことである。
私が初めてダム・アンド・ダマーを見たのは東京で働き始めて間もない頃のことだった。
長男とも二男とも出会うはるか以前のことであった。

その笑いをいま肩寄せ合って共有できる。

続編であるダム・アンド・ダマー2は昨年暮れ世界で公開されたきり、日本にやってくる気配がない。
そうであれば、父として何とか取り寄せるなり手段を講じるしか無い。

子らにとって日本語字幕なしで真剣に見入る最初の映画がダム・アンド・ダマー2となるのかもしれない。
それはそれで後日談としても面白い。

他愛のない共有ネタほど、長く心に響くものであろう。

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