KORANIKATARU

子らに語る時々日記

「当たり前」のことを大切にする。


運転していて気づいた。
おお、今日は家族4人が勢揃いではないか。

思い立って道すがら、一路お墓へクルマを走らせる。
ちょうどここから半時間の場所、折角だから立ち寄ろう。
THE お墓参り、2015年初の揃い踏み。

好天に恵まれた4月29日休日、霊園の人影はまばら。

人の気配のない静寂のなか、家族で手分けし敷地の雑草を抜き汲んだばかりの水を注いで墓石を磨く。

身内のうち今日はたまたま我が家が買って出ての掃除当番。
課外活動に取り組むように和やかお喋りしながら4人でお墓をキレイにしていった。
生駒中腹に吹く初夏の風がどこまでも心地いい。

記憶をたどり、ここに眠る故人の面影について子らに話す。
読書家であった祖父は町一番の知識人としてささやか近所の敬意を集めた。
足腰立つ限り行商をやめず各地を経巡った祖母の仕事に対するファイティングスピリッツは凄まじいものであったが、人には優しく、どこまでも人に良くする心根の人であった。

各自お墓に線香を添え手を合わせる。

そうそう、手を合わせて頭を下げて「当たり前」である。
皆が揃ってきっと祖父母は喜んでいる。閉じた五感のその向こう、思い浮かぶのであるからそうであっても不思議ではない。


折に触れお墓参りは欠かさぬが、何かを深く信心してのことではない。
習慣の賜物というしかないだろう。

私の父母も祖父母も、家内の父母も祖父母も、皆そうしてきた。
だから「当たり前」のように、そのようするだけのことである。

その「当たり前」が極めて重要なことであると、中年になってだんだんリアルに分かってきてからは、ますます心を込めて「当たり前」に振る舞うようになってきた。

そして、この「当たり前」が再帰的に子らにも伝わっていくことになる。

数々の身を通じて受け継がれてきた「当たり前」はおいそれと軽んじて扱っていいようなものではないだろう。

一度ほころぶと、「当たり前」はあっさりとその姿を消して、次代へ引き渡すことができなくなってしまう。


前日のこと。
仕事後に環状線でグルリ周り実家に寄った。
月一回、弟とともに催す父を囲んでの飲み会の日であった。
食卓に添える手料理の支度を終えた母も合流し、結局は毎回4人で卓を囲むことになる。

この飲み会は、父や母が暮らしのなか培ってきた思想のようなものに直に触れることができる絶好の機会であり、私や弟にとっては貴重な学びの場となる。
なにしろ、そのような知を最も必要とする年代になってそれをタイムリーに得られるのである。
恵まれた話だ。

そして、この飲み会の後は、決まって気が引き締まり、いつも思うことになる。
倹しく謙虚に生きよう。

調子にのって世間を舐めたような生き方は絶対にしないでおこうと自らに言い聞かせ、そして何よりもこのエッセンスを子らに伝えなければならないとの義務を感じることになる。


今更ながら痛感する。
両親から身を持って教わったことで、大事なことは、一から十まで全部「当たり前」のことなのであった。

敬うべきを敬い、畏れるべきを畏れ、人に良くして、こつこつ仕事し、悪口言わず、時間は守り、虚勢を張らず虚飾で張り合わず、腹がたっても聞き流し、静か地道に生きること。
これで丁度十個揃ったが、どれもこれも「当たり前」のことである。

これが世界共通、人類普遍の良きことであるとまでは言わないが、少なくとも我らの系譜たどれば所詮はこの程度の身丈の連なり、遺伝子に刻印され受け継がれてきたのがそのようにパッとしないような地味な教えであってもそれが我らに相応のことであろうと、頷ける。

君たちについては、その基本線を踏み外すようなことがないよう心しなければならないし、将来の伴侶についても同様だろう。
相手の心に受け継がれてきた「当たり前」とこちらの「当たり前」が調和する、話はそれから、である。


霊園を後にし生駒トンネルを潜って阪神高速神戸線をひた走る。
小一時間でガーデンズに到着した。

せっかくなのでと子らの服を買う。
もうアディダスやらアンダーアーマーやらには見向きもしない。

背も伸びたし肩も広い、まさに馬子にも衣装で、いっぱしの体躯にシャツもジーンズも映え渡る。
並んでひけとらぬよう、父も少しはカラダを鍛えねばならない。

夕飯後、長男はロードワークに出たので、二男と並んでフォレスト・ガンプを見る。
人を幸福にした男の物語。
何度見ても、名作だ。

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