KORANIKATARU

子らに語る時々日記

たまたま、いま・ここ


土曜夕刻、給油し満タンにしてから自宅にクルマを置く。
次は私の番、西宮北口へ向かって歩く。
さて、何を食べようか。

前日の雨が除湿の作用をもたらしたのか、カラリ晴れ上がり空気が清涼。
日陰だと肌寒さを覚えるほど。

家族は西宮のいぬづかで記念写真の撮影中だ。
面倒なので私は写真には入らない。

西宮北口で合流することになっているが早く着きすぎた。

ガーデンズの本屋に足を向ける。
書籍品揃えの充実度で西宮北口は梅田を凌駕する。
気になるような書籍がひと通り揃っているので、本好きなら素通りできない。

周辺地域を見渡せば本屋が痩せるような所ばかりであるが、ここらについては本読み人間が根強く棲息しているのであろう。

週末のガーデンズは混み合っている。
本屋も人だらけ。
くつろいで本棚に向き合うことなどできそうにない。

本屋あきらめそこらをぶらつく。


あてなく各フロアを巡りつつさっき事務所で見たばかりの映画について考える。
タイトルはゼイリブ
舞台は貧富の差が極に達しつつあるという世相のアメリカ。

貧困層の増大にはカラクリがあった。
あるサングラスをかけると、それが透けて見えることになる。

世はサブミナルなメッセージに満ち溢れている。
曰く、考えるな、惰眠をむさぼれ、従え、消費せよ、、、。

人間社会に紛れ込み、人間を搾取し奴隷化しようと企てるエイリアンの仕業だ。

SF仕立てであり随所にコミカルな映画であるが、現代社会への痛烈な風刺となっている。

洗脳と言えば大袈裟だが、時代に同色染まって当たり前に受け入れてしまっている価値観については、このような映画の切り口を借りなければ省みることができない。

実際にそのようなメッセージを仕込む主体があるのかどうか知る由もないが、安易な陰謀論には陥らない程度で何らかの「意図」を読み解こうとする心がけは必要なことであろう。

何の疑いもなく易々と思い込まされて、実は手の平のうえ踊らされ、好き放題貪られていた、となっては後で悔しい。


家内から連絡があり子らはラグビーするので帰ったという。
家内と二人で食事することにする。

ジュリエッタに足を向け、しかし、どのみち混んでいるだろう、この近くにおでん屋があると思いついて「いなか」の暖簾をくぐった。

店は混み合っていたが、ちょうど二人分の空席があった。

刺身盛り合わせ、牛たたきを前菜として注文する。
ビールはアサヒスーパードライ

家庭の二重行政を解消するためにも、たまにはこうして夫婦で食事することも必要だ。
今宵の議題は子らの塾について。

スーパードライの次はキリンビール
ビールの本流と言えば、伝統のキリンラガー、いやもはや主役はアサヒスーパードライ、様々な意見が戦わされる両者を飲み比べる。

おでんを順々に頼む。
牛すじ、たまご、わかめ、いか天、たけのこ、つぶ貝、テール。
どれもこれも出汁が芯まで滲みて旨味十分。

星光については中1の現時点であるクラスでは既に半数近くが何かしらの塾に通っているという。

教師陣が親身かつ強力なので塾がなければどうにもならないという話ではなく、要不要どちらでもいいが、下校時間も早く余力もあれば、浮いた時間に取り組むアクティビティは勉強、そのような結論に至るご家庭が多いということだろう。

難関他校に比べ塾を必需とする要素は少ないが、力伸ばしたければ好き放題自由な設計ができる、つまり工夫次第、趣向凝らす余地があると言える。

一方の西大和については、研伸館との協力体制のもと学校の放課後に相当にハイレベルな予備校の授業が行われている。
選抜制ではあるけれど父兄のニーズにドンピシャ応えた取り組みと言える。

そもそも日頃のケアが手厚く、学年を追うごとにますます手厚いということなので、塾へ行く必要がない。
この学校については塾を必需とする要素が少ない、のではなく、その要素がないということになる。

放課後の予備校授業についても、要は、趣味の問題。
もっともっとというのであれば、そのもっとにも応えるという学校の姿勢なのだろう。


歩いて家内と自宅に帰る。

西の空に、木星と金星が並んで輝いている。
宇宙はすぐそこ。
私は一人、自宅前の公園のベンチに腰掛け、星空を眺めて束の間飲み直し。
缶ビールを開ける。

西の地平近く最大離角の金星が輝き、やや明度を落としながらその左上には木星、更にその左上にはしし座のレグルスが一線並んで輝いている。

夜空の光輝3点に惹き込まれる。

壮大な空間と膨大な時間に身を委ねるような解放感を楽しむ。

たまたま、いま・ここ。
この一瞬の向こう側には、途方もない世界が広がっている。

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