KORANIKATARU

子らに語る時々日記

母らの集合知


阪神電車の斜め前、ご婦人が日刊ゲンダイを手にするが、読むというよりは嗅ぐといった方がいいくらい紙面に顔をこれでもかと肉薄させている。
愛しい誰かの写真が掲載されていてそれに頬寄せているのでもなさそうだ。

何でもないような日常が裂け、そこに一点、奇異が浮かぶ。
ついつい視線が吸い寄せられてしまう。

ご婦人は字面を追っている。
眼球の動きでそうと分かる。

鼻先をライフルの照準器のように使い、見下ろすようにしてその先の文字を目で捉えていく。
そのようにして、ご婦人は日刊ゲンダイを読んでいる。

何の変哲もない身なり。
読み方以外は、仕草も雰囲気もごく普通。

読み方は人それぞれ。
ご婦人の読み方は一風変わっているが、一種の癖のようなものなのであろう。
たまたまスタンダードな読み方ではないというだけのことである。

誰であれその人を特徴付ける、時には奇妙にさえ映る癖のようなものを持ち合わせている。

人の仕草や動きについては、ほとんどが定型的で決まり切ったものでありパターンは限られているが、そんな中、ひとつやふたつ、良きにつけ悪しきにつけ、十人並みの規格を外れる性向が現れ出る。

害悪及ぼすものでなければ、すべては個性、その人の持ち味として尊重すべきことであろう。

人は一人一人皆異なる。
奇異と感じた我が身を反省する。


家内からPathを通じて写真が送られてくる。
長男の学校のママ友宅にお呼ばれしたようだ。
皆で食事している光景が写っている。

いい雰囲気である。
上品でお綺麗なママ達がずらりと並ぶ。

車窓の向こうは尼崎。雨は冷たく降り止まない。
女子はなぜあのようにすぐさま交流が深まっていくのだろう。

私など、大学を卒業してから数十年、友人の友人つながりで幾人か友人ができた程度であり、日常的に友人ができるということはない。

仕事を通じ知己を得たり、結束したりする仲間はあっても、めったに友人はできない。

ことさら拒絶する訳でもなく、たった一回の人生、友人があることほど豊かなことはないとも思っているのでウェルカムな心持ちのはずなのであるが、なかなかうまくいかない。

中学や高校や大学、男子にとって友人や友人の種子ができるのはそこだけであり、せいぜい将来そこを輪の中心として友人つながりの友人ができたりするだけなのだろうか。

私の問題ではなく、男子一般の特性と言えるのかもしれない。


一方、家内は私と対照的だ。
人生の季節ごと、各ステージごと友人の実がたわわ成る。

受験を通じたママ友や、二男や長男の学校のママ友、近所のママ友、様々なママらと交流し親睦を深めている。

だから、情報源としては私より遥かに厚みがあるはずで、彼女が日記を書けばそれはもうたいそう興味深く有益な内容となることだろう。

そしてそれは単に日々刷新される情報が面白いといった表層の話ではなく、それよりも何よりも、母らの集合知のようなもの、幅広い交流のなか深層において編まれていく母的知性の集積のようなものがベースにあるからこそ、価値あって面白いものになると言えるのだろう。


子に、勘違いさせないよう、相当に意識的になっている親がいる。

子に向かって言う。
うちはお金がない。

傍から見ればそんなはずはない。
代々に渡っての有名なお金持ちであり、そんな家にお金がないというなら、我々など干上がって枯渇しているとでもいうしかない。

親の見識がそう言わせる。
うちはお金がない。

虚心に見れば、子は、ゼロだ。
全くのゼロ。
これからの存在。

親が無警戒になってしまえば、子は親の性向をそのままなぞり、それがスタンダードだと誤認識してしまう。

ゼロなのに、百だ千だと心得違いしかねかねない。
ゼロなのに、自らを万だ億だと、誤って取り違えてしてしまうことほど痛ましいことはない。

そうなれば悲痛である。
嵩高く、気位高いゼロほど不憫なものはない。

パンがなければケーキを食べなはれ、ああ、ケーキほんまうまいわ、たまらんわと平気で軽くこれみよがし、人を傷つける慎み知らずは害悪ですらあるだろう。

子には、言おう。
うちには金がない。
我が家の場合は言わずもがな、知ってるよと子らは言うだろう。

お金の厳粛を肌で知ることこそが振る舞いや言動まで含めた一番の金銭教育となるのだろう。
可愛い子には貧乏させろ、昔の人は本当にいいこと言った。
かねてより我が家では鋭意実行中、悲しくも止むに止まれず止められない。


帰宅する。

腹を空かせて長男が帰ってくる。
手早く特製の冷やし中華を家内が作る。

大量の麺を茹でていく。

長男が言う。
麺、固めで。
はいよ、とばかり差し出された冷やし中華を、美味いと声漏らしながら長男が勢いよく平らげていく。

引き続き、二男が帰ってくる。
まだ慣れない部活で体力使ったのか、極限に腹が減っているという。

冷やし中華だと聞くと、決勝ホームラン決めたみたいに小躍りした。
麺は固めで、と二男も言う。
見る間二男も平らげ、お代わりしていく。

私はその光景に目を細め、鶏の軟骨やサラダ、焼き魚など滋味な小皿をつつく。
冷やし中華をお腹いっぱい食べられるようになる日を夢見つつ。

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