KORANIKATARU

子らに語る時々日記

家族が音で繋がった土曜夜


金曜に買物するはずが土曜に変更となった。
週末の梅田、あの人混みを想像するだけで気が滅入る。

夕刻家内と待ち合わせヨドバシカメラに向かう。
案の定の混み具合。

近所なのだからあえてわざわざ週末に突貫することはなく、平日にすればいいものをという不平不満はおくびにも出さず、家内の後をついていく。

子らの英語のリスニングなど、このところリビングで音を聴く機会が増えている。
であれば、音響をいいものに一新しよう。
それが買物の趣旨であった。

目的とする用途に足るものかどうか私はそこを吟味し、家内はデザインを選定する。
ぴったりツボにはまる品と出合う。

ではさっさと帰ろうと思うのは男子だけであり、せっかくなのでいろいろ見ていこうとなるのが女子だ。

両手に荷を下げるのはもちろん男子の役目。
スピーカーはさほどでもないがレシーバーはずっしり重い。
ただ運ぶだけなく荷で嵩張った身で人波をかき分ける必要があるので、これはもう大層な骨折りである。


上に下にあれやこれや見物し、やっとのことで最終地、美容エステコーナーに辿り着いた。

家内がヘッドスパやらの説明を受けそれを買う間、私は一歩の距離を置きよく躾けられた侍従のように用事が済むのをおとなしく待つ。

さすがに美容コーナー。
身なりよく小奇麗な女子が目について、さしもの侍従もちらり目をやってしまうことになる。

で、その一角で誰もがそうであったように、私の視線は、不細工で少し気味の悪い雰囲気の男性に釘付けとなるのであった。

無職、何かのマニア、友だちはおらず、人に言えない秘密が両手に余る。
それが第一印象。
スリーサイズはチキチキバンバン百百百。
童顔っぽい顔立ちから歳は二十代後半あたりだろうが、しかしぱっと見はかなり老けて見える。

そんな風体の老けた青年が寡黙に突っ立って、美顔ローラーをその荒れた肌に這わせている。

まず第一に男が一人で立ち入るエリアではない。
まして、女子が手入れに用いる美顔ローラーなど男子が手にし試しに使うなどあってはならないことである。

通りがかって、チラと視線向ける女子は一様に薄気味悪がっているように見えた。
とてもではないが彼が使った後、そのローラーは使えない。
消毒では足りない。
焼却した後地中深く埋めて周辺2キロ立入禁止、とすべきくらいのことであろう。


人の流れを避けながら私はそこに立ち続け長い時間が経過した。
第一印象が必ずしも正しいものではないと、その青年に対する認知が徐々に修正されていく。

パーツごと見れば着ているものはちゃんとしている。
それにJaguarのロゴが入った紙袋を持っている。
時計もよくよく見れば高価なもののようだし、顔もまあ見れないことはない。

靄が徐々に晴れ、そして真相に思い当たる。
彼は、大阪ニッポン橋などで見かけるオタクといった類の種族ではない。
十中八九、彼は今をときめく、神様仏様、爆買い様のお一人に違いない。

たまたま不器量だったから分かりづらかっただけなのだ。

それに、彼の地からの旅行者なのだと考えれば、ほとんど男子禁制といった場で男子が手を触れてはいけないようなものを平然と顔に這わせていることにも合点がいく。

周囲を見回す。
この中に爆買い様のお連れ様がいるはずだ。

しかし見回せど見回せど、それらしいように見合った雰囲気の方が見当たらない。
どうやら爆買い様の伴侶は、ここにいるうちの誰か、彼とは断絶的に異なる見目麗しの美貌の方なのであろう。

爆買い様は美顔ローラーを優雅にお顔に這わせ、私は両手の荷に耐え続ける。
彼我の差は如何ともしようがない。


帰宅し、早速荷を開ける。
古いスピーカーを二男の部屋へと移し、リビングに新しいものを設置した。

Bluetoothでパソコンと接続し、iPhoneと接続する。
試しに流した最初の曲は、Elton John の Can you feel the love tonight 。

ゾクリとくるほど音がいい。
苦労の甲斐あった。
いい買物したという満足感が込み上がる。

そして、蛇使いの笛の音に誘い出されるみたいに、部屋で閉じこもって勉強していた長男が現れ出て、二男が現れ出る。

音のもとに家族が集結となった。

次はこれ、その次はあれ、と各自のリクエストに応じて曲を流し続け皆でリビングで過ごす。

家族揃って音でつながる素晴らしい土曜の夜となった。


日曜日、試験も近いので子らは勉強に勤しむことになる。
三食では足りないので家内はその飯炊きで忙しいだろう。

邪魔にならぬよう私は事務所に出て書籍の整理整頓などして汗を流す。

Path を通じて家内から近況が入る。

長男の学校の友だちが朝から我が家に集まった。図書館の自習室で勉強しようという。
家からだと市内の図書館が近いが、ここは決まって混んでいる。
自習するなら隣町の図書館が穴場だと家内がクルマで彼らを送り届けた。
もちろん二男も同乗させる。

二男にとっては一軍の自主トレに混ざって練習する新入りのような体験となるだろう。
強者どもに混じってお株奪うくらいの猛勉強を見せるのではないだろうか。

集まってだれてだらける手合いはいない。
互いが良き刺激となり、勉強はずいぶんと捗ることだろう。


毎日新聞の今朝の記事を切り抜く。
テーブルのフロートガラス下に挟んで子らに読ませなければならない。

中国では留守児童が6100万人に上り社会問題となっている。
親が出稼ぎに出たまま長期に渡って放置される児童も珍しくない。

先日、4人の留守児童が農薬を飲んで自殺した。
年の頃、5歳から13歳。
長兄が妹三人の面倒を見ていた。

長兄が残した遺書にはこう記されていた。
「ありがとう、死ぬことは長い間の夢でした」。

数年前には、5人の留守児童が寒さを凌ごうとゴミ箱に入って火をつけ死亡した。

痛ましい出来事であるが、知っておかねばならないだろう。

単に抽象的に知力を磨くだけであるならお粗末な話だ。
何が起こっているのか、国内外の社会に目を向ける。
更には歴史や文化などについても関心を持つ。
そうであってこそ、身に付けた知力が一人前の知性へと育っていくのだろうと思う。

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