1
さあ週末、向かう先は有馬か淡路かと家族で頭を悩ませ、出てきた答えは伊勢であった。
昨年受験祈願で訪れて以来のお参りとなる。
お礼詣として今回は本人も引き連れる。
道頓堀インターで降り上本町にクルマを停める。
伊勢志摩ライナーに乗ること100分足らず。
柿の葉すしをつまむ間に伊勢市駅に到着した。
駅を出てまっすぐ外宮へと向かう。
前方に見える深緑は荘厳でそこから清涼な空気が流れてくる。
春の匂いと相俟って心がとても穏やかになっていく。
やはりここは非日常の場。
そこら行楽地とは一線を画する。
2
本宮を手始めに人の流れに付き従い要所要所で頭を下げ手を合わせて約半時間。
引き続いては外宮を後にしタクシーで内宮へと向かう。
昼過ぎて人出が増してきた。
天気予報は雨であったがお参りの出足には影響しないようである。
各所で列に並んで順番を待つ。
列が次第に長くなる。
荘厳な場であるからであろう列は整然とし列成す人はどこまでも折り目正しい。
お参りし終えてほっと一安心。
おはらい町の石畳を家族で連れ立って歩く。
松阪牛串を頬張り赤福で並びなどしてのんびりと過ごす。
3
おかげ横丁に差し掛かると太鼓櫓でちょうど演奏が始まるところであった。
袖なし法被をまとう三人衆の腕はどれも隆々だ。
ライブで間近、押し寄せてくる振動が下腹を打つ。
響きの空間に身を任せワナワナ打ち震え続ける。
和太鼓を連打する若衆のエネルギーがまっすぐこちらに伝播してくる。
楽器の演奏というよりは武道の実演と言うべきであろう。
並みの迫力ではなく、その場に同化しすっかりお腹が減ってしまった。
タクシーを拾って、川広へと告げる。
行きのタクシーの運転手が言っていた。
うなぎなら、川広。
観光客ならいざしらず、地元民は他へは行かない。
クルマで十分ほど。
午後一時を過ぎ店の客は適度にはけていた。
私はうな重特上、家内はひつまぶし、二男はネギ丼大盛りを注文した。
長男へは全ての写真をメールで送る。
子らに語る時々twitterで写真を挙げて呟いたとおり、ぱりっと焼けて香ばしく、これまで食したなかでも屈指の美味しさであった。
4
川広を後にし、腹ごなしがてら地元の生活道を歩いて、みたすの湯へ向かう。
ここもなかなかの湯である。
炭酸泉につかってジャグジーに身を横たえ露天で寝そべって一時間。
伊勢神宮で心洗われ、みたすの湯で身も清まった。
締めは当然誰もがそうであるように、まめや。
百年の歴史を誇る伊勢うどんの老舗名店だ。
大阪人や四国人からすれば伊勢うどんなど、ふやけたうどんの成れの果て。
そう思っている人が多いであろうが、それはまめやのうどんを知らぬからのことであろう。
一度食せば、その優しい味わいに陶然となる。
伊勢うどんの何たるかに触れるなら、まめやをおいて他にない。
はるばる伊勢を訪れた旅人をいたわるような思いがうどんから伝わってくる。
この美味しさは底知れない。
5
すっかり満足し帰途につく。
夜陰切り裂いて突っ走るビスタカーの揺れ具合が心地いい。
歩けば気が遠くなるような山あり谷ありの道のりである。
往時の旅人からすれば想像もできないだろう。
伊勢本街道全長160km超に2時間を要しない。
アトラクションもぬいぐるみもゆるキャラも何もなく、そんな場所ではつまらないというご家族もあるかもしれないが、かつて民族大移動さながら日本人すべてを吸引して止まなかった由緒ある地である。
一度はお誘い合わせのうえ足を運ぶべき場所であろう。