KORANIKATARU

子らに語る時々日記

ギンギラ眼が更に熱く鋭くなっていく


今朝の毎日新聞。
世界地図が掲載されていて放心したみたいになってしばし見とれた。
遡ること20万年前、アフリカに出現した人類が世界へと歩を進めた足取りが記されている。

ユーラシア大陸やオーストラリアに人類がその棲息域を広げたのは4万年から5万年も昔のこと。
北米や南米に到達したのは最近のことで約1万年前。

人類が日本にたどり着いたのが3万年前なので、ユーラシア大陸から海を渡るのに1万年を要したことになる。
1万年など想像もつかない。

日本へのルートは3つあった。
樺太からの北海道ルート。
朝鮮半島からの対馬ルート。
そして、もっとも困難であっただろう沖縄ルート。
なにしろこのルートは流れの速い黒潮を横切らなければならない。

当時の人間はカラダの構造も脳の仕組みも遺伝子的に現代の人間と全く同じ。
そのような人々が海を渡るのに用いたのが、草舟だと考えられている。

思い出そうとしても思い出せない。
われらの祖先は無茶する旅人、命知らずな冒険者らであったのかもしれない。

いよいよ出立の時。
前方を見据え草舟にて漕ぎだすときの彼らの眼光を思い浮かべてみる。

なんのこれしき。
わたしたちの眼はもっと熱く鋭くなっていい。


昨晩のこと。
武庫川を北上し171号線を右に折れた。

5kmほど道なりに進めば目的地に至る。
南側駐車場1Fには満車と表示があるが少しうろつけば空きスペースと出合うことができる。

家を出て到着ロビーまでの所要時間は半時間ほど。
伊丹空港は至近の場所にある。

長男の乗る飛行機の到着予定は19:15。
わたしと家内と二男、三人でその時を待つ。

ここから先は立入禁止。
海面にブイが巡らされたような地点まで進んで、立って並ぶこと30分。

ゲート出口に向かって歩いてくる長男の姿が見えた。
はるばる1万3千キロ、海を渡ってやってきた男が眼前に立つ。

少しばかり照れくさい。
彼が右手を差し出す。
固く握手する。
力が増していることが分かって、照れは一気に吹き飛んだ。


家族並んで駐車場まで歩く。
残り5キロで家に到着、そこでいよいよ旅が終わることになる。
最後のラストランを家族で伴走するようなものである。

みやげ話が多すぎて、彼の話は終わらない。
少し間が空けば、今度は記者会見で質問攻めするみたいな時間が続く。
家内が聞いて、二男が聞いて、わたしが聞く。
皆で聞きまくる。

そうそう、ラグビーはどうなった?
帰国間際、連絡が途切れて結果を聞いていない。

地域の対抗戦は5戦5勝。
チームの一員になって朝も夕も連日練習に励んだ。
皆が真剣に取り組んだ。
その成果が実を結んだ。

当初この留学ではラグビーなどする計画はなかった。
ふとしたような巡り合わせでラグビーに引き寄せられることになった。
縁があるとしか言えない。

帰国直前の最終戦、フォワードなのに彼はフルバックを任された。
最後の記念、コーチの粋なはからいだった。
皆の背を見てチームの要たるべく思う存分走って当たった。

試合が終わってチームメイトらが言った。
7月に大会がある。
旅費をかき集める。
だから来い。

冗談でも嬉しかった。
皆と別れなければならない、そう考えただけで胸が張り裂けた。

日曜夜、171号線は家路につくクルマで混み合っている。
まもなく我が家に到着する。

さあ、次はどこを目指すのか。
我が家男子のギンギラ眼は更に熱く鋭くなっていく。

 

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