KORANIKATARU

子らに語る時々日記

肉が美味しいと家族はより一層幸せになれる

家族が勢揃いしてから二週間が経過した。
しかし各々忙しくなかなか時間が合わない。

焼肉を食べようと合言葉のように言い続け幾年月。
それがまるで大人の社交辞令のように空疎に響きはじめた昨今であったが、きのう日曜ようやく念願叶うことになった。

美味い焼肉屋は数あれど我が家において筆頭にあがるのは焼肉ソウル桃谷店。

事前に予約し席は確保してあった。
店に入るとすでに長男が到着している。
友達と遊んでから寄るということだったので遅れること必至と想定していたが、あにはからんやの一番乗り。
焼肉が待つなら行動はすべてスムーズ前倒しとなるようだ。

家族で炭火を囲む。
まずは塩タン。
続いてハラミにカルビ、バラ、ロース、という黄金カルテット。

赤身を堪能してからミノやテッチャンなどの白身に移る。

肉とライスがあればそれで十分、何ならタレだけでもおかずにできる。
大阪下町で育ったわたしの子ども時分はそうであった。

しかし、子らの感覚は大違い。
彼らはサラダを頼みトマトが美味いといってそれを追加する。

焼肉屋で野菜を食べる。
わたしには考えられないことである。

そして、締めは冷麺。
全世代共通の定番だ。
肉欲がきれいさっぱり浄化されるかのような清涼感がたまらない。

肉が美味いと家族はより一層幸せになれる。
揃って食べるのに焼肉こそがふさわしい。

ご満悦となっての帰途。
二男から聞かされる。

数学αとβの先生が、なんと私たちの当時と全く同じ。
授業の様子などを聞くが、両者健在、当時のまんま。

三十年の時を超え、我が子がその両先生に教え受けているということに感動し震えすら覚える。

上の子も下の子も学校にとてもよくしてもらっている。
しっかり鍛えられ見守られ、友達もたくさんできて、充実した学校生活を送っている。
親として申し分なく、大満足だ。

帰途、彼らがかつて通った上六の塾のそばを通りかかる。
とことん親身になってくれた先生方の顔がずらずらと浮かぶ。
その方々があっていまがある。

お腹は満腹、胸は感謝の念で満たされた。

春の夜風がふんわりと暖かい。
家族皆でそぞろ歩く。
なんてことはないこの連れ立って過ごす時間が愛おしく、至福の境地がチラと垣間見えたように思えた。
やたら嬉しくて仕方ない、そんな日曜の夜となった。