KORANIKATARU

子らに語る時々日記

能面の奥がみるみる緩んでいった

駅前のコンビニで新聞を買いホームの階段を上がる。
最後尾まで進む。

毎度同じメンバーがホームで電車を待っている。
皆が顔馴染みのようなもの。
言葉を交わすことはないが互いが互いを認識している。

そのなかにいつものとおり杖つく老人の姿もあった。

まもなく始発電車がやってきた。

早朝なのに座席はすべて埋まっている。
わたしはいつもするように、杖つく老人の背を目で追う。

老人はあたりを見回すが席は満杯であり、この日に限って尻をねじ込む空隙すらない。

わたしは行方を見守る。

左右両並びに座る乗客の誰もが杖つく老人の姿を瞬時に視認したはずであった。
しかし、押し黙ったまま皆が皆の動向を探るのみで誰も動こうとしない。

電車が揺れ、老人は渾身の力でもって踏ん張り立ち続ける。

時折、チラと老人に目をやる女子もあったが、目をやっただけであった。
その他は携帯に目を落とし、新聞に顔を隠し、知らぬ存ぜぬを押し通している。

左右並ぶ総勢14名が総力結集してする見て見ぬふりと、孤立し立ち尽くす老人。
この非対称の絵柄には戦慄すら覚える。

心優しいわが国の民は積極果敢に残酷に手を染めることは滅多にないが、消極的残酷さにおいてはお手の物。
まるで能面かぶったごとくの無表情でする忍法知らんぷりの術に凍りつく思いをさせられた人は無数にあるだろう。

このままだといよいよ次の駅に差し掛かり更に混雑具合が増すことになる。
そうなればご老人の苦悶はいや増しだ。

誰かが何とかしなければならなかった。

そのとき、一人の年配者が立ち上がった。
決して若くない方だ。
その方がご老人に席を譲った。

いたたまれない思いであったのだろう。
この14名のうち、席を譲るべき者は他にあったはずだった。
しかし誰も腰を上げない。

そのまま事態を見過ごすなど、心あるその年配者にできることではなかった。

杖つく老人が腰掛け、周囲は安堵したようであった。
良心の咎めからやっとのこと解放されたというようなものであったのだろう。

総勢13名の能面の奥のこわばりがみるみる緩んでいくのが分かった。

結構なかなかに薄気味悪い。
他の国では絶対にお目にかかれない日本独特の光景だと言えるだろう。