KORANIKATARU

子らに語る時々日記

体力由来のプライドが欠かせない

ひとけのない時間帯を見計らってのことだろう。
公園のグランドを砂塵濛々、二男が疾走している。
行く手遮るものは何もない。

部活を終えてまだ動き足りないのか、あるいは何かテーマを設定しての自主トレか。
わたしは立ち止まってその動きを見つめる。

子ほど可愛いものはなく、寝顔もいいし旺盛に食べる表情もいいが、なんといっても走る姿に勝るものはない。
それも、何かに挑みかかるかのように気合たっぷり、闘志ほとばしらせるド真剣な様子を見れば、胸熱くジーンとなるのは避けられない。

子育ての手応えはここにある。
この調子であればひとまず安心だ。

彼らが男子として世界と対峙するとき、何はさておき体力由来の矜持といったものが欠かせない。

未知の場や見知らぬ人を前に自身のペースを堂々保持し、万一不協和な場面に巻き込まれてもそこに悠々と滞空しその状況を楽しむくらいの陽性の知性はすべて体力と結びついている。

頭でっかちの陰性で、かつ体力なければ、実戦の場では震え泣き出し引きこもるといったことになりかねない。
悪くすれば大人の年齢に達してまでママに助け求める体たらくを露呈するかもしれない。

実世界では口ごもり、意に沿わなければ逆恨みし、コソコソグチグチ私念を垂れ流す、そのような根暗者はまずもって、体力がない。

体力がないので何も跳ね返すことができず、何一つ好転させることができない。
だから精神の換気も悪く毒が内に溜まって、挙句には自分で自分の首を締めそれで悦に入るといった気色の悪い悪循環に陥っていく。

こういう輩を指して、男の腐ったの、という。
もし男子を授かって、そんな男になるのだとすれば親としてこんな悲しいことはないだろう。

まもなく夏至。
夕刻7時であってもまだ明るい。

二男がわたしの視線に気付いた。
走りながら彼は軽く手をあげる。
それに合わせわたしも手をあげた。

全世界共通の仕草である。
親しい相手を目にすれば人は手をあげ微笑する。

その夜は、久々家族揃っての夕飯となった。

食卓に四人座って家内がこさえた手料理を分け合って食べる。
料理教室で学んだばかりのメニューが再現されて今夜も並ぶ。

わたしの横には長男が座る。
前には家内、その隣に二男。

家内が長男にふと言った。
並んで見ると雰囲気が似ていなくもない。

長男がさも心外といった風に鼻で笑って自説を述べる。

彼によれば、家内が妥協してわたしのような男で手を打ったのがそもそもの誤りで、巡り巡って子に祟ることになった。
家内が少しましな男を選んでいれば、自分たちは男前になれたに違いない。

わたしは反論する。
わたしが父親でなければ、君たちは別の何かであって、男前云々以前に君たちは存在しなかったことになる。

そう言ったあと言葉の意味がじわじわと沁みてくる。

こうして四人で食事していることが奇跡のように思えてくる。
何だか分からないような縁に導かれて、わたしたちは一堂に会した。

家族の顔を一人一人のぞきこむ。
人知の及ばない圧倒的な不思議にわたしは息を呑む他なかった。

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