KORANIKATARU

子らに語る時々日記

一点の曇りもない完全無欠な無

3つのフェーズから成る話であったので、自身の頭部に1つを格納し、胸部に1つ、腹部に1つを対応させ、各部に内蔵した話を内面の目で覗きこむようにして、上から下へとなぞって話をつなげる。

カラダを地図にするとメモを見ずとも話すときに要点を外すことがなくなる。
頭部から下へと降りる際、胸部をすっ飛ばすことはなく必ず腹部に行きつく。

話を終えてマイクを置いた時間が土曜の夜7時であった。

だから、後になって振り返ればちょうどそのときに息を引き取られたということになる。

日曜の朝に訃報のFAXを受けた。
午後7時に永眠との言葉があったので即座わたしは前夜の記憶を辿った。
話を終えマイクを置いた瞬間のシーン、目が合った聴衆の顔が思い浮かんだ。

仕事においては厳しい一面もあったが、公私に渡ってとてもよくしてくれた事業主の方であった。
ミナミへと連れられた回数は数えきれない。
その方がこの世からいなくなったということがうまく理解できない。
第一、まだお若い。

その死について考え、茫々と過ごす日曜となった。

ありとあらゆる心痛の種が消え、また病苦からも解き放たれた。
そう思えば、苦難絶えない人生がやっと終わったとも言え、深い労いのような感もわいてくる。

生のとばりの向こう側は、文字通り一点の曇りもない、無色透明、広大無辺な無なのであろう。
憧憬かき立てられるほどの無の懐を思えばとても安らいだ気持ちにさえなる。

おそらく生きることを意思してこの地を訪れた者はなく、誰もが気付いたときには生きていて、そしてとても単純なことだが、生きているから生きている。

そのような「わたし」という無数の自我が多事多難な行程を七転八倒し、いつか唐突に「わたし」という役割から解放される。

「わたし」という一場の夢。
終わってしまえば、実に呆気ない。

面影は残ってももはやその人の姿形はどこにもない。
今後ミナミをいくら歩いても、あら奇遇と出くわすこともあり得ない。

そう思えばただただ寂しく、言葉も出ない。
その生の踏破を静かに讃え在りし日を偲ぶこと以外、できることは何もない。