KORANIKATARU

子らに語る時々日記

歯を食いしばって持ちこたえてきた者らがあってこそ

右車線で右折待ちしていると、助手席に座る二男が左車線前方を指差した。
直進レーンでうちのクルマが信号待ちしている。

私たちは右に曲がって川に沿う道を選ぶが家内はまっすぐ進んで街中を通るつもりのようだ。

さあ、どっちが早いか。
二男がけしかける。

家の前でグリルシャッターがゆっくり上昇するのを見ていると、家内の駆るクルマが後ろに現れた。
フィギュアのペアがするみたい、並んでの車庫入れとなった。

日曜の夕刻は足早に過ぎていく。
風呂を炊いて順々に入り、手分けし食事の支度にとりかかる。

ベランダに雨除けの傘を設えて、交替でお肉の焼け具合を監視する。
家族四人、食卓を囲みつつ、監視係となる者が離席しお肉を裏返し焼き上がったお肉を出迎える。

お肉の宴はまだまだ続くが、わたしは途中で満腹となって退散した。

一人で映画を見て過ごす。
「国際市場で逢いましょう」、韓国で歴代二位の興行成績を記録した話題作だ。

朝鮮戦争によってどん底に陥った韓国が、後に漢江の奇跡と呼び讃えられるほどの急成長を遂げる。
その時代を背景とする映画だ。
舞台は港町釜山。

世界最貧国であった韓国が奈落の底から浮上していく。
その主因となった歴史的二大政策も漏らさず作品の中で描かれる。

主人公は朝鮮戦争の混乱のなか、父と生き別れた。
父が現れる日を待望するが、それまでは幼かろうが自分が家長である。

働くばかりの少年時代であり青年時代であった。
自ら身を粉にして働き、母を助け、弟の学費を稼がねばならなかった。

だから国が西ドイツ炭鉱への出稼者を募ったとき真っ先手を挙げ過酷な労働を厭わなかったし、帰国後も妹の結婚資金捻出のためベトナムに行くことを躊躇わなかった。

ベトナムから妻へと送った手紙の内容が胸を打つ。
こんな苦労が自分に降りかかるのであって本当に良かった、子供たちが味わうのでなくて本当に良かった。

主人公が、当時の韓国経済の主柱を担ったすべての男子を象徴している。
母に家を買い、弟をソウル大に通し、妹を嫁がせた。
誰もがその労苦に熱い共感を抱かずにはいられない。

ラストシーンは胸に突き刺さる。

家族との団欒の場面。
老いた主人公がその場を離れ、一人自室に向かう。

生き別れたまま再会果たせなかった父の肖像を見つめ、心のうちを吐露し嗚咽する。
ほんとうに苦しかった。
そう繰り返す。
ほんとうに苦しかった。

カメラがズームアウトしていく。
一人嗚咽する主人公の部屋の隣、家族が幸福そうに輪になって過ごしている。
誰がこの幸福をもたらしたのかが画面のなか一目瞭然となって、強い敬意の念を抱かざるを得なくなる。

そして、彼の国の再興に寄与した無数の名もなき者らに思いが至る。
なりふり構わず歯を食いしばって持ちこたえてきた者らの労苦があってこその再興であった。

わたし自身も父親稼業まっしぐら。
この映画に触れて知った負けじ魂のようなものは必ずや肥やしとなる。

早朝、三階で眠る長男の寝顔を見て、一階で眠る二男の寝顔を見て、仕事場に向かう。

少子化によって彼らの時代は競争が緩くなる、そう楽観するのは大間違いだろう。
話は逆で、激しさを増す競争社会が少子化を招き、手塩かけられた者らの戦いは熾烈を極めパイはどんどん小さくなっていく。

つまり、競争だけが真実だという世知辛い一面から目を背けることができない。
彼ら自身が逞しく、誰かの幸福に寄与する人物となってもらいたい。
そう願うのであれば、まずは隗より始めよ、ということになる。

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