KORANIKATARU

子らに語る時々日記

10周年へと向け、わしお耳鼻咽喉科がその歩を踏み出した

大事なことを伝え忘れていた。

芦屋の阿部レディースクリニック院長から、祝5周年との言葉を言付かっていた。
ところがわたしはわいわい飲みふけり、その言を懐に忍ばせたまま鷲尾先生に伝えそびれてしまった。

記録係としての職務に照らせば、思い出したときが吉日、ここに必ず記しておかねばならない。

この日、11月11日、わしお耳鼻咽喉科が開院5周年を迎えた。
お祝いの場に数々、知己が駆けつけた。

主催は、タナカ・シンジケート。
泣く子さえついつい引き込まれて微笑たたえる類まれなる親和的組織体。
全貌を露わにせぬオクトパスのように謎めいた存在でありながら、末広がりな八本足で皆をまとめあげ、だからここに背を向けては誰も笑顔で生きていけない。

午後8時、その発声によってわしお耳鼻咽喉科5周年祝宴の火蓋が切られた。

宝塚から安本先生がお越しになって、苦楽園からは開院1周年となる斎藤幹先生が駆けつけた。
もちろん、天六のいんちょ、カネちゃん、森山、章夫、グレート・ギャツリーがいたし、大阪星光後輩のカヨウ先生の姿もあった。
そして島田選挙の際に力添えくださった難波先生、イケメン二枚目と言えば森先生、更に加えて、氏野先生、長谷先生がいらして、種田先生に引き続いて、タナカ・シンジケート精神的支柱とも言えるジャン先生もお見えになった。

そこに顧問税理士が加わって、フォーユー相良さんが目を行き届かせる。
なんと分厚い顔ぶれであろう。

余談であるが、面白い偶然があった。
有能な医師の影にフォーユーありというのがいまや定説であるがミキ先生も例外ではなくフォーユーの恩恵を受けているのだった。
例えれば、タナカ・シンジケートのバックに007がいて、ミキ先生のバックには008がいた、というようなものである。

和気藹々としたお祝いムードに皆がくつろぎ、こじんまりとした座敷で肩寄せ合って見渡せど見渡せど男ばかりの宴は盛大さを増し続けた。

この先、何十年経っても変わることのないこれら力強い面々が援軍となってわしお耳鼻咽喉科があり続ける。
そう思えばなんと頼もしいことだろう。

このまま幾晩でも語り明かせるといった雰囲気のなか、ほどよい頃合い、生じた気合を生け捕りするようなタイミングで、余韻深く会は締められた。

と同時に、わしお耳鼻咽喉科は10周年へと向け力強くその歩を踏み出したのだった。