KORANIKATARU

子らに語る時々日記

楽観からほど遠い

元旦は実家で集合となる。
一年で唯一朝からお酒を飲んでやましくない。

親戚、従兄弟らとお酒を注いで注がれてわいわいと盛り上がる。
思春期の頃にはいちいち近況を話すのが鬱陶しいと感じることもあった親戚連中ではあるが、中年にもなれば肩の力抜け、いちいち取り繕う必要もない貴重な身内なのだと素直に思えて親しみの方が勝る。

母の手料理も格別だ。
何十年と口にしているが、何度食べても新たにおいしい。
70歳を過ぎこれだけの分量を用意する昔気質に頭が下がる。
次の世代に真似できるようなことではないだろう。

二時間ほどぶっ通しで飲んでお開き。
息子二人を伴い実家をあとにする。
途中の駅で二人と別れる。
彼らはもう一つの実家に向かい、わたしは事務所で過ごすことにする。

例年であれば地元神社に真っ先にお詣りするのであるが、今年はそんな気になれない。
神頼みして何がどうなるというのだろう。
今回の年越しは全般に渡ってニヒルな傾向に堕している。
無駄な手間に思えて正月飾りを怠って鏡餅のお供えも疎かにした。
もちろん年越し蕎麦も口にしていない。

酔い覚ましに牛乳飲みつつ映画を流す。
新年一本目は野火。
人を屠るリアルにお屠蘇気分は一切合切吹き飛んだ。
ますますニヒルな感に拍車がかかる。

一年の計は元旦にあり。
この真新しい一年について観測しじっくり考えてみる。

出だしの空気から受ける単なる直感、根拠はないが波乱含みで多少なり難事降りかかる年になってしまうような気がしないでもない。
いいことばかりが永遠に続くようなものでもないだろう。

見通し外れて福まみれであれば物怪の幸いではあるが、虫のいいことばかり考えず一日一日腹括って臨んで、少しくらいは勝ち越せる程度を目標に置きたい。