KORANIKATARU

子らに語る時々日記

いつか分かるときがくる

楽しげな家族団欒の声を階下に聞きながら、わたしは週明けの業務に備えて早めにベッドに入った。

この成人の日、ちょっとした成人の何倍もの量を食べ、あれほど食べたのにまだデザートやらを食べているのだから恐れ入る。
わたしも大食漢であるが、子らが数段勝って途轍もない。

寝返り打ってふと思う。
食について最善を尽くしてきた家内に頭が下がる。
とても足を向けては寝られない。

これぞ母の献身というものであろう。
自らは差し置いて、まずは子のことが先にくる。
そのように一貫して揺らがない。

責任感あって真面目で頭がいい、そういった長女気質にも関係があるのだろうか。

映画ルック・オブ・サイレンスの一シーンが頭をよぎる。
1965年、インドネシアで共産主義者や華僑が標的となる大虐殺が起こった。
累計100万人が惨殺されたと言われる。

リゾート地として親しまれるバリ島も虐殺の現場であって例外ではない。
全貌を知ればただただ厳粛となるばかりであり、とてもではないが波打ち際で寝そべって優雅にくつろぐなどできやしないだろう。

映画のなか、息子を殺された母がその無念を語る場面がある。
骨だけに帰した息子を母は忘れられず、息子を思ってその食事を用意し続ける。

母性が秘める激烈をそこに見たような思いとなった。
母の愛は凄まじい。

一夜明け、わたしは早朝起きだすが、子らも同じで家内も同じ。

朝食の注文を子らから聞いて家内はその支度をいそいそ始める。
すでにわたしの朝昼の弁当は出来上がっている。

世には子への関心より自らへの関心の方が勝る母もいる。
あくまで自分が主役で、子はあるじを飾るための添え物のようなもの。

見渡せばいたるところ。
娘気質抜けないウッフンアッフンな母親ごっこの作り笑顔に満ちている。

なんであれ当たり外れがあるということだろう。

早朝から気合一発仕事に取り組み、職員が現れる頃にはあらかた予定は片付いた。

昼の弁当は中華丼。
感謝混ざって美味さは倍加。

子らもいつの日かしみじみと、その箸が止まって震えるくらいの感謝の念に射たれることもあるだろう。