KORANIKATARU

子らに語る時々日記

毎夜毎夜の小さな再会

1月も半ばに差し掛かり暮らしはすっかり平素のリズムを取り戻した。
ここ最近はお酒も飲まず毎夜自宅で夕飯をとっている。

この夜もまたヘルシーなメニューであった。
蒸鶏のサラダを皮切りに寒ブリとトロそしてプリプリ白魚の刺し身が続きそこにカリッと焼いて香ばしい山口とうふの薄あげと料理教室で習ったというタラの熱々スープが添えられた。
少し食べ足りないとアンコールすると具だくさんの納豆が追加されデザートにはオレンジ。

これで飲み物が微炭酸のミネラルウォーターなのだから食の心配りとしては最上級の域と言えるだろう。
朝昼の弁当と併せ手を変え品を変え装いも新たに日々健康山盛りの食生活を享受できている。

週末はひどく冷え込むらしいねと食事しつつ話しているうち、あれからもう一年も経ったのかという話になった。
長男をカナダ極寒の地に送り出したのは振り返れば一年前の今時分のことであった。
暖かな日でさえ最高気温が零度をはるかに下回りゲルフは日本とは別種の寒さの地であった。

彼の地にある長男を思い連日寒さに気を揉む我ら夫婦であったが、長男の方はそんなことにはお構いなし、平気のへの字で寒さに馴染み、朝な夕なラグビーに入れ込む留学生活を大満喫していたようであった。

昨年1月10日の日記にあるとおり、彼を伊丹空港に送る際、クルマのなか流れていたのが映画ロシアハウスのテーマ曲であった。
懐かしくなって、この夜も流す。

そうそう二男はどうする、そういった話になる。
長男の場合は学校の推奨もあって三ヶ月もの留学の時間を取れたが、二男の方はそうではない。
が、同様にしないと不公平になる。
どこかで間隙縫ってせめて一ヶ月、一人ぼっちの武者修行に赴かせるべきだろう。

そのように子らについてああでもないこうでもないと楽しく語らって過ごす冬の夜の団欒は格別である。
ロシアハウスサントラの主テーマであるKatyaの旋律によってこのひとときの感触が更に稠密なものになっていく。

ロシアハウスのラストシーンも目に浮かぶ。
リスボンの港での再会の場面である。
素晴らしい映画であった。

そのイメージと今が重なって、実はわたしたち家族も日毎小さな再会を果たしているようなものなのだと思えてくる。
映画の主人公らが切り抜けた難局には較べるべくもないが、小さな難所をそれぞれ越えて、ここで顔を合わせる。

よくよく考えれば、日常は無数の奇跡を要素にして成り立っているようなものとも言えるだろう。

先日仕事した事業主の自宅玄関先に掛け軸が飾ってあった。
そこには毛筆でこうしたためられていた。
「子らよ、今日も無事で帰ってこい、父の願いはそれだけだ」

そうそうその通り。
親はただそれだけを願って、毎夜毎夜の小さな再会を心から喜んでいる。