購入したはずなのに長く行方不明となっていた曲たちがいつのまにやらライブラリに顔を揃えていた。
iPhoneの御心は分からない。
極寒かつ雨模様であったが、懐かしい曲らを携え少し歩くことにした。
迂闊にも製本テープを切らしていた。
月曜朝には入用で日曜のうち手に入れる必要があった。
向かうは本町界隈。
大きな文具屋があって日曜も開いている。
懐かしい音楽が雨降る街路によく馴染んで感傷を誘う。
炭水化物の次くらい。
感傷に目がない中年男性がうっとり歩く。
幸い日曜。
ビジネス街にひと気はない。
首尾よく製本テープを手に入れ事務所にとって返す。
音楽流して軽作業に勤しむ。
懐かしついで。
Youtubeから分け入って過去の名曲を渉猟し始めることになった。
なんて便利なのだろう。
すべてがすぐそこ。
まるでどこでもドアでありタイムマシンである。
そしてたまたま1981年6月11日木曜日に行き当たった。
当時わたしは小学生。
弟と銭湯から帰ってザ・ベストテンを見ていた。
毎週楽しみしていた番組である。
その夜、第一位が松山千春の「長い夜」。
松山千春はテレビに出ない。
そういう話のはずだった。
が、この日は違った。
ライブ会場と中継がつながって、松山千春が会場の大歓声のなか「長い夜」を熱唱したのだが、この声量が凄かった。
身震い覚えるほどの感動であり、半べそかいてもおかしくなった。
わたしと弟は顔を見合わせ、すげえ、と感想を述べ合った。
画面を通じ、はるか彼方に置き忘れられた兄弟2人の会話がありありと蘇って胸に鮮烈刻まれた。
今度弟と飯食う時に思い出し、またこの先なんどでも思い出すことになるだろう。
大事な何かを忘れてしまわぬよう帰りの道中わたしは「長い夜」を何度も聴き続けた。