KORANIKATARU

子らに語る時々日記

ひとり渚に佇むべきなのは男子の方

仕事を終え長男に電話するが繋がらない。

しばらくして、いまスポーツジムでトレーニング中だとの折り返しのメールが入った。
家内も一緒だという。

微笑ましい光景が目に浮かぶ。

女の子のないママは負け組、以前そんな話を聞かされたが、長男とジムに行ったり、二男と映画を見に行ったりという日常があるのだからそれほど卑下するようなことでもないだろう。

わたしは帰途和らかの湯に立ち寄って炭酸泉に横たわる。
仕事後の解放の時間をのんびり過ごす。
岩塩温泉もジャグジーも心ゆくまで堪能してから、風呂をあがる。

疲れも癒えて肌はつやつや。
窓を少し開けてクルマを走らせる。
夜の冷気が清涼で、爽やか感が増していく。

ステレオから流れる音楽は、『そんなヒロシに騙されて』。
耳馴染みある曲であったが、この夜はじめて歌詞をじっくり聴いた。

ヒロシという奴はなんて男だ、この女たらしめがと運転しつつ思うが、軽快なテンポにはぐらかされて、エイトビートのダンスするヒロシが憎みきれない。
ヒロシに騙され渚にたたずむ女子についても、歌詞の言い回しがうますぎて、恨み節さえくどくない。
だから、切ない話であるはずなのに、なんだか不思議と心がなごむ。

名曲だ。

言葉とメロディによって毒気が抜けて、一歩間違えれば痴情のもつれといった類のおどろおどろな素材が、なんとも親しみやすく懐かしいような情景へと昇華されている。

なんと芸達者な技なのだと唸らされ、その一方、軽快なテンポと言い回しを現実世界で駆使してヒロシを地で行くのは良くないと、山手幹線を西へと走りながら後味について考える。

誰かを傷つけるような後味の悪いことは絶対にしない方がいい。
そう若いうちから肝に銘じておくべきだろう。

例えば、雲一つない青空が広がっていても、後味悪い何かがあれば、そこにうっすら影が差す。

払っても払っても尾を引いて振り切れない影。
そうイメージすれば、後味の悪さについて理解しやすいだろう。

頼りがいあって優しい男子が、手の平返してそっぽを向けば、これはかなり強烈激烈にショックな話で、蝶よ花よと育てられた種族にとっては天地ひっくり返るようなものであって耐え難い。

昨日の日記に「望まず、あてにせず、期待せず」と書いたが、これは男子が受け継ぐ言葉であって、女性にそう言わせてしまうとすれば卑劣漢と謗られるような話である。

男子たるもの、エイトビートのダンスで気を引いている場合ではない。
ひとり渚にたたずむべきなのは、どちらかと言えば男子の方だと心得ておくことである。