KORANIKATARU

子らに語る時々日記

会話も役割も子の成長に伴ってその姿かたちを変えていく

夏休みだから家の前の公園では毎朝ラジオ体操が行われる。
ボランティアとして家内はその運営を手伝うが、わたしはラジオ体操の時間よりもはるかに早く家を出るのでその様子を目にしたことがない。

初日には160人を数えた参加者も僅か数日の時を経ていまは80人程度。
縮小社会日本を地で行くみたいに急速に萎んで、夏の終わりには一体どれだけの人数が残ることになるのだろう。
櫛の歯欠けるように減る参加者数を溜息混じりにカウントする家内の様子が目に浮かぶ。

そんな話に続いて、家内の二万語は長男の食べっぷりに移った。

場所は福島のパンコテイ。
綺羅星のごとく名店集う福島のなか、家内の希望でこの日はパンコテイを選んだ。

このところ食欲全開の長男である。
いい塩と梅干しを選んで作るおにぎりが彼の気に入るところとなって、弁当以外におにぎりも用意するよう所望されるという。
家内にとって子が食べること以上の喜びはない。

おにぎりを作ってと頼まれることが嬉しくてたまらない、家内の表情がそう語る。

と、店の照明が落とされろうそく灯るバースデーケーキが現れた。
カウンターの右端に座る小さな女の子が誕生日だったようだ。
店中でハッピーバースデーの合唱となった。
驚いたのだろう、女の子は終始目をパチクリさせていた。

店に照明が戻り、その間中断された家内の二万語もまた再開となった。

今度は地域ボランティアの話になった。
幾つかの町内会が共同し、地域のご老人を公民館に招いて手作りの食事を振る舞う。
今月二回目の食事会がつい先日行われたという。

暑いなかご老人らが誘い合わせて足を運んでくる。
毎回大盛況となって、とても喜ばれるそうだ。

そう楽しげに語る家内の話を聞きながら、わたしはそのような催しが継続的に行われる土地柄に驚き、同時、同志の皆さんの心意気にリスペクトの念を覚えた。

準備し給仕し後片づけまでボランティアがするそうだから、労力で言えばかなりの骨折りのはずである。
伊達や酔狂でできるような話ではない。

夫婦の会話も子の成長に伴って変遷し、役割も姿かたちを変えていく。
子育てが一段落し、どうやら方々から引く手あまたとなっていく家内のようである。

持ち前の真面目誠実な長女気質と、サービス精神あふれる社交性と人によくする感性は捨て置かれるはずがなく、どうしたってやがては所を得ることになっていく。
そのよき流れを眼前にするかのようであってわたしはとても誇らしい。

店を後にし、長い行列のできるラーメン屋が近くにあると家内に話したところ、意外や意外、じゃあ行こうとなった。
まだお腹に余裕あり、酔いも手伝ってのことであろう。
まさかの展開であるが、ここぞとばかりわたしは家内を「燃えよ麺助」までエスコートした。

案の定、S字で列ができていてその最後尾につけた。
列で向かい合う形になった常連風の若者にオススメメニューを聞いていると、たまたまそこに家内担当のカリスマ美容師が通りかかった。

あら偶然と家内が彼を列に招き入れ、3人での二次会となった。
ビールで乾杯し、わたしは鴨だし、家内は貝だしを選び、美容師はさすがに若者、貝だしとチャーシュー丼を頼んだ。

あまりに美味しく、なんだこれはと盛り上がり、そして、わたしは彼の地にいる二男のことを想うことになった。
帰国次第、必ず彼をここに連れてくる、そう誓った。
家内もきっと同じことを想っていたに違いない。

美容師と別れて、帰途につく。
電車に並んで座って家内が話し、わたしは聞き入る。

途中、伊丹駅に電車が停車したので二人して気づいた。
尼崎で神戸線に乗り換えるのをすっかり忘れてしまっていたのだった。

宝塚線と神戸線がともに尼崎に乗り入れて、長く住んでも時々間違う。

これまで何回間違ったことだろう。
長男も二男も同じ轍を踏んでいるはずなので、家族合わせれば相当な数にのぼるはずである。

宝塚線で乗り過ごした過去のディティールを家内と話しながら引き返す。

ふと思う。
案外こんなことが先々まで語って楽しい貴重なエピソードになるのかもしれない。
そういう意味ではJRに感謝である。