KORANIKATARU

子らに語る時々日記

懐かしの音楽に若き父の姿が刻印されていた

お盆前から始まった工事で淀川大橋が一車線塞がった。
夜9時を過ぎても牛歩の歩みとなるためこのところは43号線を使って帰る。

 

昨晩ちょうど鳴尾の交差点に差し掛かったとき、耳馴染みのあるナンバーがステレオから流れ一気に気持ちが静まった。
映画がまだ白黒だった当時、一世を風靡した曲だ。

 

家に名曲全集といったレコードが取り揃えられていた。
名曲であるから子どもが聴いても心地いい。

 

下町の小さな家ではあったが、世に知れ渡った曲に触れる程度には音楽に親しんだ。

 

それらレコードは親父が買い揃えたものに違いないが、当の親父が音楽にくつろぐシーンは記憶にない。
生計立てるため朝から晩まで働いて、レコードは買い集めても聴く暇などなかったはずだ。

 

そう言えばレコードだけではなく、小さな家なのに本棚が二架あってそこに書籍がぎっしり並んでいた。
世界文学全集もあったし経済書も哲学書も百科事典もあった。

 

もちろん、親父がページくる姿など目にしたことはない。
その背に家計がのしかかり一刻の猶予もないといった様子で親父は働き通しだった。

 

この日、いまは老いた父と電話でややギクシャクしたやりとりがあって、少しばかりわたしはムシャクシャしていたのであったが、すっと気持ちが収まった。

 

いつまでたっても親父は親父で、わたしは息子。
親父が気の済むように思えばいいのであって、ムキになって逆らうことなど何もない。

 

遠い記憶の向こう、数々のレコードや本の背表紙がうっすら目に浮かぶ。
あれらは、他ならぬわたしたち子のため取り揃えられたものであった。

 

懐かしの音楽に陶然となって肩の力抜け、とても素直な気持ちでその情に感謝するような思いとなる。

 

そして、わたしだって同じ。
二人の息子を持ってこそ分かることだが、まったく同じ。

 

はるかな時を超え、若き父の息吹を間近に感じた。
弱音吐かず誰をも心配させぬよう戦い抜いた男の気概から、わたしはまだまだ多くを学ばなければならない。