最終の業務を終え時計を見ると19:40。
バス停はすぐ近く。
ちょうど19:58に瓢箪山駅に向かうバスがある。
その時刻に合わせてバス停に向かう。
幹線道路を一歩入った住居地域は暗く静まり返っている。
路地を抜け左へ折れれば間もなくバス停というところ、目の前をバスが通り過ぎた。
ひとつ前のバスだろう。
間に合うかもしれない。
早足で追うが一歩及ばず。
暗がりのなか、ぽつねんと立ちバスを待つ。
向かいの車線を山本駅へと向かうバスが通り過ぎていく。
山本駅経由で帰るという手もある。
そう思うが、今度はこちら側にバスが来る番だろう。
ところがまた向かいの車線に山本駅行きのバスがやってきた。
次こそ、こちら。
と、思うが二度あることが三度起こってから、ようやくわたしの立つ処にバスの光が灯った。
空腹であった。
瓢箪山駅に着き、まずは腹ごしらえと食事処を物色した。
前夜の夕飯は事務所近くの餃子の王将。
だから、餃子の王将瓢箪山店の前は通り過ぎ、あじ家というラーメン店に入った。
メニューを眺めつつ、すいません、と奥の厨房に向け声をかけるが届かない。
店員同士、おしゃべりに夢中のようであった。
間をおいてもう一度、すいません、と呼びかけた。
おしゃべりは白熱化の一途。
反応あるはずがなかった。
場末、がら空きのラーメン屋の席に座って、誰にも相手にされない。
自身のちっぽけさがくっきり際立ってそこに像を結んだ。
しばし直視し、悲しみにひたった。
二度ある事は三度ある、そう学んだばかり。
すいません、ともうこれ以上は謝りたくなく傷つきたくなかった。
わたしは静かに席を立った。
さっさと帰ろうと駅に向かうが、目を疑った。
時計は20:15、次の電車は20:31。
15分以上もホームで何をすればいいのだ。
わたしの前を過ぎていった3台もの山本駅行きのバスが目に浮かんだ。
山本駅には準急も普通も停まる。
次の電車を10分も待つことなどあり得ない。
わたしはバス停のチョイスからして誤っていたのであり、3台ものバスが通過する間、誤り続けていたのだった。
結局、先ほど通り過ぎた餃子の王将に舞い戻ることになった。
そしてまた目を疑うことになった。
前に置かれた餃子は黒焦げに過ぎた。
とても客に出していいレベルとは思えないし、子らがいれば手出しさせなかったはずであるが、なにせ空腹。
美味い、美味いとわたしは残さず平らげた。
実際、美味しかった。
そして駅に戻って20:35。
次の電車は20:54。
20分近く、わたしはホームに立ち虚空を見つめ続けることになった。
事務所を経てクルマのハンドルを握ったときには22時を回っていた。
くたびれ果てていたが、帰郷感込み上がり心底安堵した。
和らかの湯に寄りしばし心身緩めてから帰宅。
午前0時を目前にしてベッドに入った。
徒労覚えた一日がこうして幕を閉じた。