KORANIKATARU

子らに語る時々日記

人としてきちんと付き合うこと

頭の天辺から足の爪先まで一点の陰りもなく庶民であるが、金曜夜、鳥貴族の引き戸を開けた。

 

月曜から木曜まで炭酸水で過ごした。

週末くらいちょいと寄るのもいいだろう。

 

カウンターの隣席は夫婦連れ。

料理を分け合って食べ、肩並べてスマホの小さな画面に目を注いでいる。

ときおり、顔を見合わせ二人して笑う。

子どもの動画でも見ているのかもしれない。

 

隣席からすれば、わたしなどどこかのやもめ風情といったところだろう。

ビールを飲みつつ焼鳥をつまみ、ひとり回想にふける。

 

この日の午後、とても感じのいい青年と面談する機会に恵まれた。

海外帰りのエキスパートであり有能な若者であるが、折り目正しく誠実でしかも男前。

頭切れるが早口ではなく、穏やかな喋り口調でこちらのトロさに合わせてくれる。

つまり、どこからどうみても好感もてて魅力的。

 

話しつつ思う。

もしわたしに年頃の娘などいれば、冗談にみせて、もらってくれないかの一言くらいは発しただろう。

しかしわたしに娘はなく、友人に娘はあるが婚期にはちと早い。

 

面談しつつ、主題と全く関係のない思念が頭を巡り続けた。

 

ひと肌脱ぐのが好きなタイプは誰かの幸福に寄与できるかもと思えば大いに張り切る。

だから周囲に婚期迎えた男女がいれば、様々なマッチングが自ずと頭に浮かんでくることになるだろう。

 

たとえば、いまはまだ若き長男の友人たち。

長男は彼自身よりも遥かに優秀な友人を得る才能に恵まれた。

皆一様に男前でありスポーツマンでありリーダーシップがあり、なにより優秀、これも単に優秀なのではなく、最上位にずば抜けての優秀さであるから、誰も彼もが稀少な存在と言える。

二男の友人らも同様。

 

そのうち彼らが年頃の男子となっていく。

 

大阪星光同窓会が婚活パーティを主宰するのも頷ける。

わたしたちは後輩らの縁結び役をも担い得る年格好になってきたということである。

 

いつかタコちゃんやわたしや章夫で後輩のための婚活パーティなど催すことになるかもしれず、ひょんなことから誰かの幸福に寄与する成果が生まれることだってあるだろう。

 

もちろん、ボランティアでする活動であり対価など頂戴する訳ないので、実にピュアな献身と言えるが、お釣りくるほどの嬉しさですべてあがなわれることになる。

 

大切な人的つながりのなか、たまたま雄ねじと雌ねじが合致してそこに実りある何かが生まれる。

ただただ喜ばしいことであり、つながり冥利に尽きるというものだろう。

 

鳥貴族の焼鳥は結構いける。

ビールを二杯飲んだあとはハイボールへと進む。

今度、子らを誘ってみようと思いつつ、彼らのつながりについて思い巡らせる。

 

子どもなりに彼らも盤石なつながりを徐々に形成する過程にある。

やがて幾つものつながりが折り重なるなか存在感を示すことになるのだろう。

 

だから人的つながりについてその心得を子らに重々言い聞かせておかねばならない。

百も承知と言うかもしれないが、念の為。

 

必ず踏まえるべきは、人との付き合いはまずは人としての付き合いであって、ビジネスではないという大前提である。

 

つながりによって、たまたま結果的にもたらされるかもしれない恩恵を、はなからそれが目当てと企むと、まず間違いなく疎まれる。

 

人脈という言葉は、ときにさもしく、はしたない。

 

つながりが円マークに置き換えられているように感じられれば、誰だって気分いいものではないはずだ。

 

世にあるネットワークビジネスが、良識備えた人からみて胡散臭いのは、そこらの履き違えに生臭さを察知するからに違いない。

 

子ども目線では分からぬよう手を変え品を変え巧妙に仕立ててあったとしても、たとえば、友人を担ぎだして自分が金銭を得るという状況になった場合は、まず間違いなくネットワークビジネスに手を染めたということであり、そのまま進めば目先の得で絶対的に大切なものを失う流れに足を取られることになる。

 

友だち3人誘えばマージン支払う。

今後、絶対に誰かがそんな話を持ちかけてくる。

そんな話に耳貸すような男にならぬよう、十分注意することである。

 

つながりから得られる恩恵は結果の話。

爪伸ばして掴みにいくものではないと人の道の常識として知っておかねばならない。

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Bus ou bicyclette,  Paris 1930.