KORANIKATARU

子らに語る時々日記

どれだけ頭を下げても下げ足りない

朝一番、近々開業予定の女性医師と難波の喫茶店で打ち合わせし、続いて雨のなか京橋へと向かった。

 

数ヶ月ほど要した仕事が完結しその報告に訪れた。

礼を述べる先方の涙声に晴れやかな気持ちになるが、仕事中、感傷の蓋は閉じているのでもらい泣きするようなことはない。

 

まもなく昼。

京橋の真道で松坂豚焼豚ラーメンを食べる。

かなり美味しく替え玉を注文した。

 

次の行き先は長堀橋。

若手8名で起業したというIT企業のリーダーを紹介されて意気投合。

 

それから事務所に戻ってようやくのことデスクワークに取り掛かった。

メールを送りひたすら送り、電話を受け電話をかけ、ときには強い口調の電話もするが、たいていは丁寧な口調の電話で和やかに話す。

 

そうこうしている間に日が暮れてぼちぼち終業。

働き詰めの一週間であったので、いつもより30分早めに引き上げることにした。

 

しかしそこで電話が入ってやはり早引きは無理かと観念するが、製造業の事業主を新規に紹介していただけるとの話だったので、とても験のいい一日の締め括りとなった。

 

クルマ走らせ、真っ直ぐ和らかの湯に向かう。

今夜はゆっくりと湯にくつろげる。

束の間の憩いの時間、運転しつつ顔がほころぶ。

 

なにか大会でもあるのだろうか。

立派な体躯のスポーツ系男子で風呂は混み合っていた。

幾組かのグループのどれもこれも、肩や尻の筋肉のつき具合からみてラガーマンたちと見える。

 

皆いいカラダしているなか、ひとり褐色のバッファローとでもいうべき男子がいて際立ってていた。

その雄弁な体つきに比肩する者なく、このなかのナンバーワンは一目瞭然であった。

 

だからバッファローが歩く動線の空気だけ緊張感を帯びて見えた。

彼の動きを全員が注視し、彼が近づくと気圧されるのか屈強男子の重心が後ろに下がって、まるで海が割れるかのよう道が拓いていった。

 

風呂では感傷の小窓が開く。

どこかのチビッ子2人がちんちんぶらぶら戦いごっこをしていて、その様子が引き金となってわたしは昔を懐かしむ。

 

小さな頃、弟と遊ぶとなればまずは戦いごっこだった。

パンチを繰り出しキックし本当に殴り合った。

 

弟のキックは強く鋭く、懐に入ることは簡単ではなかった。

 

彼は本当に強く、小学4年生のとき全校児童衆目のなか、小学5年の札付きの番長をキックで圧倒し打ち負かした。

小学5年のわたしは、それで番長に一目置かれることになった。

 

思えば野生動物がじゃれ合うみたいに、わたしたち兄弟は大阪きっての下町、まるでジャングルのようなところで同時代を生き育ったのだった。

 

運転席に座り炭酸水を飲み干し、クルマを発進させる。

帰宅のお供はジャージー・ボーイズのサントラ。

実にいい。

 

もうすぐ家というところで電話が鳴った。

夜10時である。

なにかあったのか、と背筋が凍る。

 

クルマを路肩に寄せてすぐに折り返した。

 

いつか思い出せるよう記しておかねばならないだろう。

この夜の電話を通じ、わたしはそのクリニックの仕事を手伝うことになったのだった。

 

ほんとうに不思議なことである。

ただ朝起きて出勤し仕事し風呂に入って帰ってくるだけのことなのに、輪が広がっていく。

 

わたしは出会ったすべての方々に深々頭を下げ感謝すべきなのだろう。

どれだけ頭を下げても下げ足りないような話である。

 

新たな出会いが絶え間なく訪れる。

 

ちっぽけなわたしではあるがささやか役に立てるのであればこんな嬉しいことはない。

やり甲斐あって男冥利に尽きる持ち場があるというのは間違いなく幸福なことだろう。

 

家に帰ると、一足先、長男が帰宅していた。

揚げたての串カツをぱくついている。

 

まもなく二男も帰宅した。

 

まるで串カツ屋。

新たな串が鍋のなか幾つも投入され、油が賑やか音立て勢いよく爆ぜた。

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