昔の写真も役に立つ。
ハードディスクの奥深く、お蔵入り同然の写真を拾い出しては、GooglePhotoに放流する。
家族が目にし、わたしも楽しめる。
ちょっとした空き時間、懐かしの思い出にひたって過ごすことはいいリフレッシュになる。
いまや悪態つくことも珍しくないクソ坊主たちであるが、かつてはその表情全域が険のケの字もない間抜け面であった。
わたしはと言えば、やや症状重めの親バカである。
ちびっ子当時のマヌケヅラ面がツボにはまってしようがない。
写真をみながら、こんなかわいい子らと暮らしていたのだと自身の半生を振り返って幸福を実感するので、そのバカさについては根が深い。
一日の業務を終え、行きつけの風呂に寄る。
キリリと冷えた空から降り注ぐ雨滴を眺めつつ、この日目にした写真を頭のなかでかき集め、両手ですくって頭上へと放り投げる。
露天の照明にライトアップされるかのよう、疲労で混濁する視線の向こう、それらアホ面の各場面が雨滴に混ざってキラキラ輝いて見える。
無色透明の岩塩湯にカラダほぐれ、身中とぐろ巻く疲労が漂白されて湯気となり薄闇の向こうへと消えていく。
すっかり無の境地。
思い出だけが、湯の中に残った。