KORANIKATARU

子らに語る時々日記

そのときはそのとき

寒いときの風呂もいいが汗ばむ季節はもっといい。

まだ3月なのに手加減なく照りつける日差しのなか、結構な距離を歩く一日となった。

 

だから湯に全身ゆだねる時間の心地よさといったらない。

 

ちょうどいい湯加減のジャグジーで疲労がみるみる癒えていく。

働くからこその喜びと言えるだろう。

 

この日、某所にてのやりとりでは珍しく押し黙ることになった。

 

とある町工場。

作業の手を休めて事業主がわたしに問うた。

 

いまできる準備はなんでしょうか。

 

事業主にとって「準備」という言葉がここ最近のテーマであるらしい。

このまま平穏にことが運ぶはずがなく事業はそのうち立ち行かなくなる。

そのときどうやって食べていけばいいのか。

 

それをあらかじめ考え、対策講じることを事業主は準備と言い、自身だけでなく、家族や従業員にも準備が大事だと説いているのだという。

 

しかし肝心な「何を準備すればいいのか」については白紙であり、それでたまたまそこに現れたわたしに問いが向けられたのだった。

 

準備と聞かれて答え浮かばず、そのかわり、町工場を訪れる前に面談していた二十代の兄弟のことが頭に浮かんだ。

 

十代の頃に父親を亡くし、母を代表者にして兄弟二人、力を合わせて頑張ってきた。

人が好き好んでやらないような仕事であるが、倦まず弛まず働き続け、自前でダンプ2台を購入し業績好調、事業をさらに拡張しようとの段階に入った。

 

どんな時代のどんな環境に置かれても、彼らならしぶとく働き、母を助け生計を成り立たせるだろう。

そんな頼もしさにあふれ、彼らと仕事談義に花咲かせる面談の時間は痛快であった。

 

町工場の機械音を耳にしつつ考え巡らせるうち、自分なり準備についての解は見えた。

が、歳下が言うには僭越にすぎ、控えるべきような答えでしかなかった。

 

実際のところそれは解にも値せぬような情動の側に属す話であり、分かったような口を利くより、分かりませんと答える方がはるかに誠実で正直な対応と言えた。

 

歯切れ悪いような空気のなか会話を終え、町工場を後にした。

 

スーツ着ていることが不快になるほどの陽気のもと、駅へと歩く。

今しがたの会話を反芻しつつ、足腰立たぬ限界まで行商を続けた祖母のことをわたしは思い出し、寒かろうが暑かろうが遠い田舎町を歩いたその不屈の魂を思った。

 

誰かに聞いて見出せるような準備が存在するなら誰も苦労などしない。

 

何があっても何であろうと働き続ける。

要はそういった気構えを持てるかどうかが大事なことなのだろう。

 

負けじ魂の系譜の先にわたしたちは存在していて、いまなお世界は無数の負けじ魂であふれている。

 

ジャグジーを出てサウナに入る。

暑さの限界、カラダがとことん熱せられたところで、水風呂に全身を沈める。

なんという心地よさだろう。

 

生き抜ける間は何が何でも生き抜いて、時が来れば、そのときはそのとき。

そういうことでしかないのだと思う。

 

カラダが十分に冷え切ったところで、わたしはまたサウナに舞い戻った。

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Two brothers crossing the river ogmore stepping stones, carrying their shopping.the bridge over the moat of ogmore castle, november 17, 1937.