夜9時前、帰途についた。
横に座る上の息子と映画「ゲット・アウト」について意見交換しながらクルマを走らせる。
相手の人格を一顧だにしない。
人を機能としてだけ見てその内面を平然と軽んじる思想が、生理的な恐怖として迫ってくる。
人種差別の本質に悪寒すら覚えた。
互いの感想は似たようなものであったが、父としてひとつアングルを付け加えた。
この映画で恐怖すべき箇所はもう一点あるように思う。
巧妙に隠された真の狙いというものがあったとして、わたしたちはそれに気づくことができるのだろうか。
善良でイノセントに見える人間が優しくフレンドリーに接してきたら、しかもその人が美しければなおさら、知り合って日が浅くてもわたしたちはいとも呆気なく気を許しその心地よさに安住してしまいかねない。
それが命取りになる場合だってある。
肝を冷やすような戦慄とともに、この映画からそう学ぶこともできるだろう。
疑心暗鬼は心身に負荷として作用するから面倒ではあるが、どのような状況であれ善意の裏に「隠された狙い」が潜んではないか、そうチラと問うくらいの自衛は欠かせないということである。
背景にある魂胆は、見ようとしなければ絶対に見えない。
右見て左見て、もう一度右を見る。
通りを渡るときの要領で、その裏側に目をやるひと手間をぜひとも取り入れなければならない。
帰宅すると、家内がベランダで肉を焼いていた。
グラス2つにビールを注いでベランダに出た。
心優しい家内の母が奈良随一の名店、福寿館の肉を送ってきてくれたようである。
ゴールデンウィークといえども、子らは何かと忙しい。
子らにとって嬉しい陣中見舞いであり、そのお裾分けに与れるのでわたしも嬉しい。
夜気にジャスミンの香りがとてもよく馴染んで、心落ち着く。
ビールグラス片手に裏庭を見下ろすと、ちょうど花盛り。
ジャスミンの花が所狭しと咲き誇り、白く明るく発光しまるで裏庭がライトアップされているかのように見えた。
焼き上がった肉を大皿に移し替え、食卓で向かい合う。
赤ワインを開けて乾杯。
地味に静かに一日が過ぎていく。
子らはそれぞれ課題に向き合い、子らの課題は親の課題でもある。
こんな時間の流れのなかにあってこそ密やか育まれるものがある。
遊ぶばかりが能ではない。
そう家内と意見一致し、その点で息も合っている。
あれこれ子らについて情報を交換し思い出も混ざって話は弾み、ワイン一本空くのはあっという間のことだった。