KORANIKATARU

子らに語る時々日記

もう一人のわたしが見ている

誰に対して何をしているのだろう。

ふとそんな疑問がよぎった。

 

舞台は、デスクの上に置かれたA3ノート。

鉛筆で書き並べた課題を赤で囲み、終えるごとに青で潰していく。

 

いろいろな用事をこなすなか、ノートに未記載の課題を遂行することがある。

 

その場合、こなし終えた課題を鉛筆でいちいちノートに書き足して、すでに終わっているのに赤で囲み、そしてわざわざ青で消す、ということになる。

 

順序が逆である。

課題の備忘録としての役割がタスクノートの機能であるから、終えた課題を書く必要などない。

それに遂行過程でアウトプットが生じているので、ノートにあえて記録しても用がない。

 

せっかく課題をこなしたのに、青で消してみせることができないなんて勿体ない。

どうやらそんな心情が内面で発動しているようである。

 

まるで誰かにアピールしているようなものとも言えて、それでふと思ったのだった。

一体わたしは誰に対しこれをみてみてとアピールしているのだろう。

 

この特殊にプライベートなタスクノートを、誰か別人が目にすることなどあり得ない。

ということは、わたしは自身のささやかな成果を寄せ集め、「わたし」自身に見せようとしているということになる。

 

わたしの耳元あたり。

わたしの視界を覗き込むようにして取り付くもう一人のわたしの姿が目に浮かぶ。

 

名付けて、「アナザーわたし」。

 

「アナザーわたし」に褒められたくて、わたしは、課題を鉛筆で書き、赤で囲んで、ほら見て、と青で消す。

このお目付け役があってこそ日々の精進に張り合いが出る。

 

そういうメカニズムが働いているようであり、その意味では、我ながら「アナザーわたし」は恩人と言うことができる。

 

だから、顔向けできないことなどすると顔から火が出て、身が縮み、穴があったら入りたいということになる。

他の誰かの見解など75日、しかし「アナザーわたし」は四六時中ついて回って生涯離れることがない。

 

恩を仇で返せば、ねちねちいたぶる必殺仕事人にもなりかねないということである。

 

うそぶいて余裕綽々に見える誰かも、彼自身に附随する「アナザーわたし」は欺けない。

笑顔の裏で、咎問われ終始叱責受けているのが真相ということもあるだろう。

 

誰にとっても同じこと。

「アナザーわたし」が、見ている。

 

人として正しくあることが「アナザーわたし」と良好な関係を保つための必須条件。

「アナザーわたし」について突き詰めて考えれば、幸福についても同じような結論に至るのだろう。

そう察しがつく。

f:id:KORANIKATARUTOKIDOKI:20180522182507j:plain

Ten-year-old Steven Miller gets a lift from his twelve-year-old brother Craig at a downtown department store. January 2, 1970 by Dan Scott.