KORANIKATARU

子らに語る時々日記

子が楽しむのであればわたしも楽しい

日曜の朝6時過ぎ。

息子二人を積んでクルマを発進させた。

兄弟がクルマに同乗するのは久しぶりのことだった。

 

映画や音楽について息子らと議論しつつハンドル握る時間は楽しい。

まるで行楽に出かけているのだと錯覚しそうになる。

が、向かうは事務所。

 

日曜日、勉強の場としてたまに事務所が選ばれる。

 

休日の過ごし方として、わたしにとってベストではないが、子らにとって意義あるのであればつまらぬ私情を差し挟む余地はない。

 

たとえばこの夏、二男は上京しわたしは家で留守番となる。

夏にどこにも行かないなど人の生態に反するようなことであるが、それでも胸が高鳴るのだから不思議なものだ。

 

わたしはありふれた日常に留め置かれ、その一方、二男は見聞を広げ美味しい食事を堪能しプールで水しぶき上げ行き届いたホテルのサービスを享受する。

 

子がそれを楽しむのであれば、わたしが楽しむのと同じこと。

 

子をもつと感性の表面積が拡大し、喜びが数倍に膨れ上がる。

数倍増しになった心の沃野を親心というのだろう。

なるほど親の心は広くて大きい。

 

台風が過ぎ風涼やかな晴天の日曜日、どこかへ出かけたいと思うわたしの気持ちなど二の次三の次となって当然であり、満場一致で子らの充実が最優先されることになる。

 

子らが幸せになってくれるならわたしのことなどどうでもいい。

そういう境地になるのは、本当のことである。

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Ian Berry, England 1975.