京都での業務を終え京橋に着いたのが午後6時前。
家内に連絡を入れてみた。
今日は昼から二男の学校の懇親会が阪急グランドホテルで行われていた。
タイミング合えばどこかで待ち合わせし晩飯でもと思ったが、家内はすでにママ友らと二次会の場にあった。
帰途にあるはずの二男にもメールを入れてみた。
夕飯に誘うがこれもまた固辞された。
やむなく一人、飯屋を求めてそこらをうろついた。
入りやすくて小ぎれいで過ごしやすそうな店を探して、ひと巡り歩いて満ぞく屋という店を選んだ。
刺身盛り合わせ、カツオのたたき、そしてサッポロの瓶ビールから始めて、チョリソーを頼み、牛肉ホルモン焼で締めた。
京橋でちょいと一杯となったときの腰の落ち着け先として申し分ない。
帰宅すると間もなく家内も戻ってこの日の話に耳を傾けた。
化学の先生が分かりにくいという話がこの日も出たそうだ。
それは30年以上も昔から同じこと。
その先生が赴任してきたのはわたしたちが高校生のときだった。
凄い学識の先生が来る。
そんな触れ込みだったことを皆憶えていることだろう。
しかし、いざ授業に接しわたしたちは一様に度肝を抜かれることになった。
虚空を見据えたままボソボソと発せられる言葉は虚空へと消えていくばかりであり、先生が一体わたしたちに何を伝えようとしているのか皆目見当もつかなかった。
遠い向こうに横たわる専門知の世界は遠いままであり、こちらに何か知識のおこぼれが降ってくるということは一切なかった。
おそらく長男の学校であれば不評が相次ぎ、勤め通すことなど不可能だっただろう。
星光ならではという話と言えて、その分からなさは代々語り継がれる伝説となった。
化学の授業が分からない。
生徒が担任に相談する。
その担任も星光出身である。
担任は頭を抱える生徒に言う。
おれも分からなかった。
何度このような会話が懇談の場で為されたことだろう。
しかし、「おれも分からなかった」という何の解決にもつながらない言葉が不思議と生徒を納得させた。
世代を超えた共感のようなものが醸成されたからだろう。
その言葉に接しすべて生徒は腹を括り、天は自ら助くる者を助く、という男子必須の境地に至ることになった。
その先生も御年召されいよいよ今年度をもって退任となる。
語り継がれる伝説に感謝の気持ちで胸がいっぱいになる。
その素朴な真面目さに感じ入ってのことだろう、誰もが好感をもって先生のことを記憶に留めている。
30年以上の長きにわたり、ほんとうにお疲れ様でしたと心から労いたい。