この日阿倍野で仕事を終えるわたしの都合に合わせてのことだろう。
事業主が予約してくれた店は、あべの橋駅から徒歩3分の場所にあった。
店の名は旬菜旬魚 傳右衛門(でんうえもん)。
ネットで見ると魚料理が美味しいとの触れ込みである。
事業主お二方と席についてビールで乾杯し、早速本題に入った。
来年事業主が手がける新規事業についておおまかなスケジュール、全体の構想に基づいた設備や人員構成の青写真について説明が為された。
最適な流れを生むための準備チームの編成、今後の打ち合わせ日時の設定方針などが決められていく。
ビールのグラスは度々空くが、空いたところを見計らって店員さんが声をかけてくれることはないので、飲兵衛三人は店員さんに声をかけるタイミングをその都度見出さねばならず、話は何度も中断し行きつ戻りつした。
つくりがキレイで料理は上品。
悪くない雰囲気の店ではあったが、近い値のところで言えば北浜うおじの圧勝で、近い地のところで言えば魚市や正宗屋に軍配があがるだろう。
新規の話はいつだって血湧き肉躍る。
着座するわたしたち三人の年格好は40代後半でほぼ同じ。
話が盛り上がって、ふと思う。
勤め人であれば、視界の端に定年という終点が見えてきて賃金カーブが下降に向かう年代と言えるだろう。
が、わたしたち自営業者が駆けるフィールドには、年齢という線引きが一切ない。
加速するのも減速するのも自由であるし、新しいことを始めるのも、やり方を変えるのも自分自身の胸三寸、その一存で決められる。
つまり年齢でさえ自分で決められる。
いつだって、まだまだこれから。
そう思えることは爽快で、その境地を分かち合えるのであるから、こんな幸福な話はないだろう。
おまかせ料理の締めは季節に合致し牡蠣の炊き込みご飯。
その時点でお腹いっぱいであったので、ほとんど手付かずで残った。
子らの顔が浮かび、通りかかったスタッフに残ったご飯を持ち帰りたい旨告げたところ、怪訝な表情が返ってきたので、それをどう受け止めていいかわらず、わたしは少し固まって、そして酔いが急速に冷めていった。
わたしはあまりに図々しいことを言ってしまったのかもしれなかった。
店員さんのノンの意を汲み、じゃあ、いいです、と謝るより他なかった。
鍋にたっぷりと残った牡蠣の炊き込みご飯はこのあとゴミ箱に捨てられる。
その様子が目に浮かび、ゴミの分までお代を済ませた後もなおその像がお店のラストシーンとなって頭に残った。
残像を消し去るには上書きが必要だ。
週末は家内を伴い姫路あたりに赴き美味しい牡蠣を腹いっぱい食べ子らの土産もどさっり買おう。
そう決めて、産地とれたてぷりぷりの牡蠣を頭いっぱいに思い浮かべた。
わたしたちは、まだまだこれから。
そして牡蠣のシーズンもまだまだこれからなのだった。