日曜の午前、地域のボランティアとして家内は駆り出された。
近所の整骨院からは屈強男子、イタリアンの店からは爽やかな男子らが応援に駆けつけた。
朝9時に始まったクリーン大作戦は2時間にも及んだ。
目の前の公園は日頃から手入れ行き届き十分にきれかったが、徹底的に洗い清められ、閑雅幽玄な庭園といった相貌を呈するに至った。
その間、わたしはジムで走って過ごした。
前半はEXOに背を押され、後半はBTSに手を引かれ、なんとか所定の距離を乗り切った。
昼過ぎになって家内と合流し、遠出もままならない時間であったので電車に乗って芦屋をぶらつくことにした。
JR芦屋駅を降り南へと歩を進める。
凍てつく寒さであり往来を歩く人影は少ない。
それでも一歩踏み込めば随所に芦屋らしさが見て取れた。
ブッーンとエンジン鳴らして行き過ぎるクルマはその大半が外車であり、たまに日本車の姿が見えるとまるで異国で同郷の幼馴染と出合ったかのように気が落ち着いた。
通りにはお洒落な店が立ち並び、中をのぞくと身なり上等な人ばかりであり、年端行かぬ子どもでさえ品のある装いに身を包み誰も彼もが端正な顔立ちをしていた。
お金があれば美しく生きることができる。
そう痛感し彼我の差をまざまざと見せつけられるような思いとなるが、物見遊山と決め込めば見どころ多く、ぶらつくだけでとても楽しい。
ケーキの名店ポッシュドゥレーヴとアンリシャルパンティエが軒を並べるように近接し、右に折れれば阿部レディースクリニックというところを直進し芦屋川を渡って川西町に入る。
左手に見える川西運動場では少年野球の試合が行われていた。
懐かしい。
土日は芦屋公園や総合運動公園が練習場であったが、水曜日の練習はここで行われた。
当時息子は勉強などそっちのけ、ラグビーに精を出し取り組んだ。
送り迎えした当時を思って夫婦でしばしグランドに見入った。
もう少し歩けば芦屋を過ぎて神戸市東灘区、最寄り駅が甲南山手になるエリア。
蕎麦の名店、土山人で昼を食べることにした。
わたしは天せいろ、家内は荒挽き田舎。
量が少ないので両方を大盛りにした。
わたしたちの前に品のいいお嬢ちゃんが座っていて、同じく品のいい御婦人が現れ、その横に並んで腰掛けた。
そんな構図のなか置いてみたとき、わたしなど決定的に場違いな異物といった存在でしかなかった。
蕎麦を待っていると店に電話がかかり店員さんがどれどれといった感じでテーブルの下を見て回った。
誰かがダイヤのイヤリングを落としていったかもしれないということだった。
些細なエピソードでさえ芦屋的であった。
二盛りの蕎麦を家内と分け合い、食べ終えてまた街を歩いた。
もと来た道を戻ってメツゲライクスダに寄るが混み合いすぎて中に入ることさえ躊躇われた。
ぶらり歩いてパティスリープランをのぞく。
マカロンは売り切れだったので焼菓子を買い、Rioでテイクアウトした一杯のコーヒーを夫婦で分け合い、さらにぶらりと歩いた。
そのうち駅に着き、することもないので未来堂書店に向かった。
家内は雑誌を読み、わたしはその横でただただぼんやり過ごした。
行き来する人の着るもの身につけるものが、ここが普通の地ではないことを如実に物語っていた。
埋没しても平然とできる自我があればこの地でも平常心保って身を処せるのであろうが、勝ち気で見栄張りな者が下手に紛れ込んでしまうと身を滅ぼしかねない。
そんなことを思いつつ、富のパノラマにわたしは見惚れ続けた。
夕刻近くになって地下の大丸食料品売り場に降りた。
どれもお代が結構高いので夕飯に添える岩牡蠣と三田ポークだけを買うことにした。
レジに並んでいると、タイガースの若手選手が子を連れて買い物する姿が目に入った。
やはりここは普通の場所ではなかった。
電車に乗って帰途につく。
心落ち着く平らな場所に我が家はあった。
THE MANZAIは午後7時から。
冷え込む夜、彼我の差さえ笑ってやり過ごし夫婦でワイングラスを傾けた。