KORANIKATARU

子らに語る時々日記

ふたりの間にいることだけは間違いなかった

大した雨ではなかったので傘を持たず家路についた。

夜9時過ぎ、電車の吊り革につかまって一日を振り返る。

 

午後、大阪の事業所で引き継ぎがあった。

前任の担当は80歳過ぎ。

 

このところ仕事に精彩なくミスを連発していたという。

このままでは深刻な事態に陥りかねない。

それで声がかかって、後をわたしが引き受けることになった。

 

待ち合わせの時間になっても前任者は現れない。

事業主とお茶を飲みつつ待つこと半時間。

 

ひと目みて驚いた。

想像していた以上に草臥れた感が漂い、同業者とはとても思えなかった。

 

書類を受け渡しするが、業界の大先輩であるとの自負心からか数々の講釈が為された。

 

知識についても実務についてもこちらが圧倒していて、それは向き合った瞬間に一目瞭然のはずだった。

見れば分かる話であり助言など無用であるのに、パンチが飛んできた。

そのことに、わたしは心底驚いた。

 

内に戦意が潜むのだろうが、その強度とは裏腹、繰り出されるパンチは、どこまでも弱く、そして遅かった。

 

しかし、わたしはそのパンチをありがたく受けることにした。

いつかわたしもこのようになる。

だからそれが当然の礼儀だと思えた。

 

まわりくどいような説明を半ば聞き流しつつ、わたしは遠い将来について夢想した。

いずれ衰えその座を明け渡す日が来るにしても、これよりは強い80歳過ぎでありたい。

 

子らの成長を見届けた後であれば人生60年であっても構わないが、もし100年ということになるのであれば80歳などまだまだ道半ばの通過点。

 

そのとき、脂乗り切った現役バリバリの40歳や50歳の頭脳労働者に対しても、目にも留まらぬ鋭いパンチを叩き込めるくらいでありたい。

 

眼前にする80歳過ぎの戦意が、わたしにも乗り移ってきたからだろう。

ますます盛んであろうとの意欲高まる引き継ぎの打ち合わせとなった。

 

一週間の業務を終え電車に運ばれる人々はみな、安らぎのなかにあるように見えた。

三連休が控えクリスマスとなり正月休みが続く。

一年で最も気持ちゆったり過ごせる時期が訪れるのであるから、気持ちほぐれるのも当たり前の話だろう。

 

あと何年この充実感を味わえるのだろうと思いつつ、自分自身の盛衰カーブを頭に描いた。

ピークはまだ先。

祖父が78歳で亡くなっているので、わたしの最盛期は80歳と定めるのがごく控え目で現実的な見積もりだろう。

 

そこから徐々に老いていき、いつか息子がわたしについて思うことになる。

弱すぎる、遅すぎる。

 

駅に着いたので電車を降り改札へと向かう。

 

息子にそう思われるのであれば本望だ。

晴れやか役目を終えて、あとはダッグアウトで息子の活躍を観戦する側にまわる。

 

と、前に見慣れた後ろ姿が見えた。

二男であった。

 

彼はわたしと同じ電車に乗っていたのだった。

いっぱしの体躯に見惚れつつ、黙って近づきその後ろ姿を写真に収めた。

 

小さい頃から同じ。

これまでも度々、前を歩く息子の後ろ姿を写真に撮ってきた。

 

後ろ姿が、その男っぷりを雄弁に物語る。

 

まずは真っ先、撮ったばかりの写真を家内に送った。

夜食の支度をしながら写メを見て、家内は目を細めることだろう。

 

顔をあげると、もう二男の姿はなかった。

改札を抜けあたりを見回すが、どこにも見当たらない。

 

しかし、家で帰りを待つ家内とこれから家に帰るわたしの間のどこかに彼がいることだけは間違いなかった。

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2018年12月21日午後9時半 駅にて