子らが小さいときはクリスマスらしく過ごすこともあった。
結構大きめのクリスマスツリーを飾って点灯もさせていたし、クリスマスイブの日はケーキも買った。
ところが、上の息子が小5のときのこと。
彼は学校の友人らからサンタの真実について告げ知らされた。
だからそのときまだ年端行かぬ小3だった下の息子もサンタが架空のファンタジーなのだと知ることになった。
それに伴い、クリスマスの日が有する特別感は消え去った。
以来、クリスマスと言っても普段と何ら変わらぬ日常の一コマとなった。
もし今後、家族が離れて過ごすようになれば、集まるための旗印としてクリスマスは格好の日だと言えるので、そのときにはまた特別な意味を取り戻すかもしれない。
しかしいま現在、毎夜ひとつ屋根の下、皆で一緒に過ごしている。
団欒があって美味しいご飯が食卓に絶えない。
毎日がクリスマスのようなものと言えるから、ことさらこの一日だけ取り分けて力み返ることの方が空々しく感じられる。
今年12月24日は天皇誕生日の振替で祝日ではあったが、わたしは事務所に出た。
一年の最終週の初日、休んで過ごすより仕事する方がはるかに心落ち着く。
朝8時を過ぎ、ツバメ君も現れた。
示し合わせた訳ではないが、彼だって同様の心持ちだろう。
各自黙って各自の課題に没頭して過ごした。
寡黙に作業を進めるなか、ときおり、友人からメールが届く。
それが一服の清涼剤となる。
今年、大阪星光33期の冬会は12月30日にミナミで行われる。
方々から集まってその数、20余名にのぼる。
ドミから参加連絡が来て、そこに記されてこうあった。
うちの子は小4でサンタをまだ信じている。
空の上にいると言って、やってくるのを今か今かと待ちわびている。
サンタさん頑張って、と返信して思う。
ドミの子のイメージどおりに現れるとすれば、空の上から舞い降りなければならない。
それを地で行くとなると、まるで一晩だけのトム・クルーズみたいなものである。
プレゼント抱え空から笑顔で舞い降りる優しいドミ・クルーズの姿が目に浮かぶ。
年末ドミに会えることがますます楽しみになってきた。
夕刻になってジムで走り終え、帰途についた。
商店街に人はおらず、電車もがら空きであった。
ぼんやり冬の夜の車窓に目をやって昔日の思い出にひたった。
二人の息子はサンタに向け毎年、願い事をしたためた。
幼い字面のそれら手紙はとってある。
サンタはたいてい願いを聞き入れてくれた。
朝、サンタからのプレゼントに歓声あげて喜ぶ二人の姿は、親にとってのクリスマスプレゼントのようなものであった。
思い出にひたるうち駅に着いた。
もう夜という時刻。
今夜、上の息子は遅くまで自主トレ、下の息子は友人宅に宿泊でともに留守。
家で家内が待っている。
わたしは家路を急いだ。