KORANIKATARU

子らに語る時々日記

蓋もできないほど中身ぎっしり

家内によれば印象的だったのは友人たちに向けての言葉。

 

一人一人前に進み出て卒業証書を受け取って、教室にいる皆に向かって一言ずつ発していく。

 

それら言葉のほぼすべてが友人への思い、友人との思い出、友人らを交えての今後の豊富といったように友人に向けてのものだった。

 

教室の後ろでその様子を見守った母らも、実は6年を通じ友人と呼ぶ以外にはない関係に至っているが、子どもたちが口々に友人友人と言うので、実はこの学校で実って成ったのは友情なのだと思い知ることになった。

 

もちろん友人らへの言葉だけでなく先生らへの感謝の言葉も多々あって皆がどれだけ学校に愛着を持っているのか分かったし、先生らがどれだけの情熱と愛情を注いで生徒らに接してきたのかもそこから十分に汲み取ることができた。

 

押さえても押さえても口から思いの丈が溢れ出してくる。

つまり蓋もできないほど中身ぎっしり。

充実の6年だったのだと母らは深く理解した。

 

ママ友らと連れ立って遅くなる。

連絡ついでにそんな話を家内から聞いたとき、ちょうどわたしは帰宅し家に着いたところだった。

 

息子二人がリビングにいたので、母の帰りは遅い、ご飯を食べに行こうと誘うが、卒業式を終え戻ったばかりの上の息子はジムに行くと言うし、下の息子は体調優れないなどと一丁前のことを言う。

 

では焼鳥でも買ってこようとなって、わたしは名店鳥よしに向かった。

 

土曜夕刻、さすが地元きっての人気店、引きも切らず客が詰めかけ焼鳥を買っていく。

買い物客のなかに混ざって順を待ち、タイミングを得てあれこれ注文していくが他とは一線を画す分量であったので、しばらくの間、他の客の注文の声は途絶えることになった。

 

ひな鳥の待つ家へと取って返し、息子らと車座になるようにして焼鳥を囲んで食べる。

他におかずは何もない。

飾り気ない素朴な食事もなかなかのもの。

 

レバーを先ごろ二男は克服しその美味に開眼したが、長男はまだ。

チャレンジするが二房程度で彼は串を置いた。

 

兄がフォワードとなって前線を突破しその後を弟がバックスとして駆け抜けるのが我が家のスタイルであるが、レバーについてだけは順序が逆になってしまったようである。

 

レバーの味について話し合う二人の様子を眺めつつ、あと数年もすれば男三人で酒盛りができると思って嬉しくなって、質素木訥な男っぽい無骨さの心地よさにひたった。

 

そして、クルマのマークやカバンのマークを隣人にかざして悦に入るあの種族のちっぽけで薄っぺらな世界のフレームに、この先も彼らが写り込まないよう取り込まれないよう懇願したいような気持ちになった。

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2019年3月2日土曜日 卒業式