寝床で気づく。
やたらと今月は忙しい。
そう言えばいつのまにか3月。
息子のことでてんやわんやであった時期は尻に火がついているも同然、無我夢中で突っ走るしかなかった。
めくるめくようなカオスの渦中にあっては何が何だか分からず、自身が向き合うべき現実への感度が希薄となったことは否めない。
しかし、心とっ散らかって風雨吹き荒れ花吹雪が舞っても、そんな騒然はいつまでも続く訳がなくやがて収束し、その痕跡も消え去っていく。
後には腐れ縁とも言うべき日常が無愛想な顔して眼前に立ち現れるだけ。
その顔が、先に控える仕事が目白押しであることを告げわたしの顔は青ざめる。
が、こういうときこそまずは落ち着かなければならない。
この段階で自らを叱咤激励し気合い入れようとすれば、空ぶかしみたいになってかえって憔悴の度が極まってしまいかねない。
ゆっくり深呼吸し、どれどれと日常の顔色を伺い目を慣らしていくことが先決だろう。
そうすれば、百遍も乗り越えてきた見慣れた行程であるとすぐに気づくことができる。
あとは無表情を決め込んでさも何でもないことのようにたんたんと日常の厚顔と睨み合う日々を過ごすだけのことである。
そのうちまた心浮き立つこともあるだろう。