もしわたしが教師だとして、生徒に灘に行けとか東大を目指せとか言うだろうか。
わたし自身は棒高跳びでジャンプしても灘に遠く及ばず、ジャンピングシューズを重ね履きして皆が下から押し上げてくれても東大の裾にも手はかからなかっただろうと思う。
生徒が勝手に目指す分については口出ししないにしても、自身に縁もゆかりもないのに、そこに行けばいいことあるよガンダーラ、と子どもたちの尻を叩けるはずがなく熱弁ふるうなど到底できない。
もちろん出身校である大阪星光については、心優しい友人に囲まれその恵み大であると身に沁み痛感しているので、ここはいいよ、と薦めることは間違いない。
実際この木曜も来週の水曜も土曜も一緒に飯を食うのは星光生である。
そんな会食を重ねるごとますます強く薦めるということになるだろう。
そして大学についても同じこと。
早稲田を出てバカだと謗られたり、見下されて惨めな思いをしたことはなく、甘酸っぱくも照り映える輝かしい青春の一時代であったことは間違いないので、早稲田はいいよと言うであろうし、早稲田つながりで相対する慶応にもリスペクトの念があるから、ひとまとめにして、早慶はいいよ、と言うことになるだろう。
実際、二人の息子にもそう言ってきた。
だから、東大へのこだわりを捨て切れずせっかく合格した早慶を蹴るといった息子の友人の決意など耳にすると、それは短慮ではないかと言葉を挟みたいような思いとなる。
確かに東大と言えば響きもいいしかっこいい。
が、ここ数年合格するのがますます難しくなっている早慶を袖にし更に一年を受験勉強に捧げるほどの価値がそこにあるのかとなれば疑わしい。
一年と言えば、春夏秋冬と季節はめぐりいろいろなことが起こり得る。
一歳確実に歳を取り偏差値は上がるのかもしれないが、入試制度が大きく変わる節目にあって東大だけでなく早慶も更に難化するかもしれずその変化の程度は見通せない。
先っぽの先だけみてまわりが見えていない状態に陥っているのかもしれず、または、まだ冷めやらぬ誰かへの対抗心がそうさせているのかもしれない。
いずれ視野は回復し、その誰かとの関わりもなくなっていく。
そうなったとき今の思いは様変わりするかもしれない。
つまり、その決意は一時的な思いつきである可能性が捨てきれないということである。
熱いうちの強靭な鉄は、他のことで打たれた方が絶対にいい。
わたしが教師であれば、言うだろう。
受験勉強はもうええがな。
世のため人のため他に取り組むことがあるのではないだろうか。
早慶に行って凄い人になればいいのである。
縁もゆかりもないのに為される東大東大という必死の形相での連呼や、灘だ灘だという敬虔な祈りのような合唱の真意が、いつまでたってもわたしには分からない。