日曜夜、晩酌。
相手は女房。
酒は貰いものの久保田であては冬場に家内が仕込んだ牡蠣のオイル漬け。
リビングでイッテQを見ながら静かゆっくりぐい呑を口に運ぶ。
当然、イッテQであるから二男も一緒。
彼がこの番組を好むからこうして家族で見るようになった。
二男はソウルから無事に戻ったばかり。
子どもだけの旅であったので内心は心配であった。
だから間近にその姿があるだけで嬉しくお酒も美味しい。
この日のイッテQは面白くなかった。
次第、二男がソウルで撮影してきた動画に関心が移り、イッテQは流しながらも目の大半は二男のタブレットに注がれることになった。
やはりこうしてテレビはお茶の間の遠景へと退いていき、主役に再抜擢される日はもはやないのだろう。
わたしたちが高校生の頃であれば帰宅すればまずテレビをつけた。
が、この日戻った二男はNetflixでゴッドファーザーを観始めた。
いくらでも最上のコンテンツにアクセスできる。
いいものを知る目利き鼻利きにとって、わざわざテレビを見るという方が奇異となる。
それでも長年の習慣の力。
イッテQだけでは家族団欒のお供として何とか命脈を保っている。
わたし自身もほぼ完全にテレビを見ない。
朝生ワイドす・またん!だけは目にしていたが、辛坊治郎さんの出番が少なくなって以来、足が遠のいてますますテレビと疎遠になった。
最近は映画も観なくなった。
近所のツタヤが閉店となってNetflixに入り、見放題となったはずなのに逆に全く観なくなってしまった。
DVDの場合は返却期限があるからこそ時間をやりくりし観ていたのだと思う。
いつでも好きなときに観ることができると思えば、ただでさえ忙しい身、映画の時間など後回しにされ続けることになって、結局、何も観ないという状態が続くことになる。
ヨルゴス・ランティモス監督の映画はその荒唐無稽な設定によって人間の本質を浮き彫りにする。
『ロブスター』という映画においても、およそあり得ない世界が描かれる。
男女は必ずつがいでなければならず、別れが生じれば相手を得るため収容所に入れられる。
45日間という制限時間のなか相手を得られればつがいとしてまた社会に復帰でき、得られなければ動物に生まれ変わるという選択を強いられる。
ちなみに、一番人気は犬で、希望を聞かれた主人公はロブスターと答える。
大真面目にそんな世界が描かれ、動物になるのを回避するため男女が互いに共通項を手っ取り早く見出しつがいになろうとするのであるが、そこに愛があるのかどうか定かではなく、まるで化学記号の世界、合致する結合の手を探り合うだけのように映る。
そしてその世界にも裏社会が存在し、つがいであることを忌避し身を隠すように暮らす集団があった。
動物にされることを何とか回避し形だけのつがいにおさまった主人公はその相手に耐え切れず逃げ出し、その裏社会に拾われる。
つがいが否定される世界であるから、そこでは誰かを愛するなど固く禁じられ、反すれば恐ろしい制裁が待っていた。
が、皮肉なことにそんな世界に置かれてはじめて男女は強く激しく惹かれ合う。
収容所において奨励されたような互いに共通点を見出そうといった生易しいものではなく、運命をすら同じようにしようとの勢いで愛し合って求め合い、結果、収容所とは桁違いの熱量でつがいが生まれるということになる。
人間という存在が秘める本質がなるほどそこに浮き彫りとなって描かれるので、荒唐無稽ではあるが稀有な名作といって間違いないだろう。
このようにNetflixがあることで、今日も明日もわたしは映画を観ないということになる。