KORANIKATARU

子らに語る時々日記

4人で行って3人で帰る

朝、ジムで走っていると二男がやってきて隣のマシンで走り始めた。

 

速さが全く異なる。

たいていの場合、隣のピッチにつられてしまうが、こう速くてはとても無理。

 

彼が小4のときに走力で追い越され、以来、引き離され続けているだけなのだと身をもって知らされた。

 

自身の走りに集中し、真横の勢いについては愛でてことほぐだけにした。

 

続いて家内が現れた。

こちらにiPhoneを向けている。

父子並走のシーンを撮影しているのに違いなかった。

 

カメラを意識し割増の出力で走ったわたしであったが、後で見たとき映っていたのは二男だけだった。

まさに文字通り、わたしなど蚊帳の外なのだった。

 

まもなくプールの営業が始まり、三人揃って移動した。

4月1日午前、天窓の向こうは快晴。

青空が水面に映え色も鮮やかな空間を、海棲哺乳類の親子のように三人でゆったりのびのび泳いで過ごした。

 

子らが小さかった頃は家族でしばしばプールに出かけ4人で泳いだ。

当時の二男とは別種の生命体になったかのよう。

水中を行き来する体躯が、時間を超えて一気に大型化したように感じられ、なるほどこのように成長というのは喜びなのだと実感することになった。

 

部屋に戻るとまもなく記者会見が始まるというところだった。

これほど大騒ぎするようなことなのだろうか、と言いつつ長男がテレビ画面に釘付けになっていた。

 

11時41分、次の元号が令和と発表されたのを見届けて、わたしたちはホテルをチェックアウトした。

 

この日も昼は横浜高島屋。

人形町今半を予約していた。

 

家内はすき焼き定食、男衆はしゃぶしゃぶ定食を頼みひとつの鍋を囲んだ。

もちろん定食の分量だけで足りるはずがなく、肉を追加し更に追加し、結局すき焼きもしゃぶしゃぶも皆で楽しむことになった。

 

そして食後、パシフィコ横浜を目指し電車に乗った。

ここが今回の旅の目的地であった。

 

みなとみらい駅の改札を抜け、小雨降るなか家族4人で歩くが雨模様だからだろうか無言が続いた。

 

会場の前で長男の肩に手をやって声をかけ、背中を押して送り出した。

これで当分、彼と会うことはない。

そう思うと一瞬何かがせり上がって来そうになったが、めでたい晴れの舞台。

他のことを頭に浮かべ感傷を封じた。

 

会場内は人の海だった。

真ん中に新入生。

それを挟むように左が家族で、右が卒業生。

 

卒後50周年を迎えたOBらが招かれているということであったが、その数、ざっと見積もって二千。

 

新入生6,500人の門出を、歴戦の古兵二千人が見守るのであるから、まさしく壮観。

度肝抜くような頼もしさという以外なく、この構図ひとつで、この大学が有する凄まじいような結束の強さが見て取れた。

 

身近な例でなぞらえれば、大阪星光89期の入学式に卒後50周年の節目にあたる33期百人が出席するようなものと言えるかもしれないが、あまりに規模が違うので、やはりたとえにならない。

 

そして式辞で掲げられるのは福沢諭吉先生であり、学生は学生ではなく塾生であり、早慶戦は早慶戦ではなく慶早戦と呼ぶのが正しく、故郷は世界八百の地に息づく三田会であるといったように、この学校の文法のイロハが早速入学式の段階で仕込まれ、なんということだろう、初日初っ端の序盤ですでに一体感のようなものが醸成されはじめたのが分かったので驚いた。

 

入学式の後は世界が一変。

第二幕は応援指導部による歓迎セレモニーが行われた。

 

元気快活に盛り上がり、その影響力は侮れず、家内は家に帰っても何かの歌を無意識のうち口ずさみ、これまた無意識のうちその振り付けを小さく真似た。

 

秩父宮ラグビー場や神宮球場での早慶戦。

家内を伴い一緒に楽しめるイベントが増えたことは確実で、そう思うとこの日の応援指導部のパフォーマンスは役割の本質を捉えた実に適切的確な前座であったということになる。

 

会場を後にし高島屋の崎陽軒やRF1で車中の食料を買い酒屋でワインを赤白と選び、最近人気沸騰中だというオードリーで隣家へのみやげを調達した。

ホテルで荷物を受け取りタクシーに乗ろうとしたとき、ロビーを横切る見知ったトリオに目が留まり遠くからその様子を見守った。

 

預けた荷物を受け取るため長男が友だちらと一緒に現れたのだった。

小6の時の上本町の塾にはじまり奈良の中学高校と同じだったメンバーが大学も一緒になった。

あとで聞いたところ、皆で景気づけにステーキを食べたというから、息子を置いて帰ったところで安心この上ないという話だった。

 

最終日、夕飯の場所は新幹線。

4人で上京し帰阪するのは3人。

あれこれ食べてワインを飲み、長男のことを思いつつであったからだろう、この旅のなかもっとも深く心に沁み入る食事となった。

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2019年4月1日朝 窓の向こうに富士山