何年も昔のことなのに、その母はママ友の言葉を忘れていなかった。
娘が通う学校のことをバカにされた。
娘がバカにされたのではない。
学校について軽口を言われただけのことである。
しかも、軽口を叩いたのはママ友本人ではない。
そのご主人が言った話をママ友通じ間接的に耳にしただけである。
それなのにママ友もご主人もその娘たちも皆が皆、今後一切の交流を絶たれる禁忌の対象となった。
口は禍のもと。
やはり迂闊なことを言うものではなく、つい口滑らせて漏れ出た言葉が、尾ひれはひれをふさふさ生やし、恨みつらみを風になびかせ千里を駆ける。
誰も得せず誰の気も晴れない。
つまり、いいことなど何もなく、状況によっては十年経っても余波が残って厄介極まりない。
だから子育てでまず教えるべきは、口を慎め、であるべきで、大人であっても折りに触れ、悪口雑言に身をやつしていないか自らを検証すべきだと言えるだろう。
陰口や悪口よりも、おちょぼ口。
ついうっかり悪い言葉が口をつきそうになるときには、口をすぼめるのが賢明。
さあ、みんなで口にチャックし蓋してレッツおちょぼ口。
小さいときからそう教えるくらいでちょうどいいのだろう。
そして悪口陰口の他、気をつけた方がいいものとして、いわゆる、かぶせ口が挙げられる。
幼稚な自意識が出しゃばると、知らず知らずのうち相手の話に水を差し出鼻を挫いてしまうことになる。
誰かが何か言ったとき、
ああ、わたしもそこに行ったことある何回も、
持ってる持ってるわたしもそれを持っている、色違いを何種類も、
知ってる知ってる、わたしもそれをとっくに知っているし他のみんなも知っている、
言った先からそう被せられれば、続きを話す気持ちは一気に萎え、不快感覚えて恨みまで残りかねないというのが人情だろう。
だからこんなときは、たとえ実際に知っていて持っていて行ったことがあったとしてもそうとは言わず、すぼめた口を大きく開き、まじか、ほんまか、ぶったまげーと合いの手を入れるのが人としての道理に適う。
実際、合いの手という言葉の語源が愛の手ということからもそれが正しいと分かるだろう。
さあ、みんなで手をラッパにしてから、いちにのさん。
まじか、ほんまか、ぶったまげー。
これで世界から舌禍は消える。