土曜朝、急迫を告げる相談が寄せられ、このような事態であればとすぐさま吉原基弁護士に連絡し対応をお願いした。
フィジカルとメンタルがめっぽう強く人柄は誠実かつ頭脳明晰。
的確適切な人選と言えた。
いざというとき遠慮なく頼りにできる存在がある。
なんと心強いことだろう。
振り返ればバックにあらゆる分野の凄腕が控えている。
たとえ自身はちっぽけ卑小な存在であっても、それがあるからなんとか曲りなり世を渡ることができている。
これもみんなのおかげ。
ジャイアンだってスネ夫だってのび太だってしずかちゃんだって、各自役割があってそれを心得ることで共存の秩序が保たれる。
そういう意味でわたしは若くしてジャイアンを目指しこの歳になってスネ夫に落ち着いたとみるのが正しいようだ。
いろいろな人の助けを借りながら自身の守備範囲の業務を勤め上げ、今週も無事終業にこぎつけた。
仕事を終えた場所が我孫子。
そこから天王寺に出て久々正宗屋に寄ることにした。
週末で賑わい混み合うなか、幸い空席がひとつあり一筋の光が射してそこだけ明るく見えた。
光にいざなわれるようにその席に吸い寄せられ、ひととき、正宗屋の心くつろぐ下町美味の世界にわたしはひたって自らをねぎらった。
昼を食べてなかったので帰途に塩ラーメンを軽く流し込んで仕上げ完了。
あとはストレスゼロの週末が待つだけとなった。
家に戻ってしばらくすると二男が帰ってきた。
開口一番、彼は言った。
塾の先生が友だちのお父さんだった。
二男は先ごろ転塾したばかり。
そう言えばこの転塾についても、カリスマ講師として名高い宗慶二先生の助言が背景にあった。
石を投げればエキスパートに当たる。
そんな環境にあるから返す返すもありがたい。
皆に感謝である。
さてところでその塾の先生であるが、幼稚園から小学校を通じずっと同じだった女子の父親であり、そうと気づいた先生の方から二男に授業後に声をかけてきたのだという。
当時のメンバーが懐かしい。
地元の幼稚園から小学校まで同じだった仲間は各自異なる塾ではあったが、それぞれ神戸女学院、甲陽、洛南、大阪星光へと進んだから、まま優秀なグループであった。
いまもラインで交流が続いているというから頼もしい。
男子校つながりは珍しくないが神戸女学院との繋がりは希少だろう。
ここら阪神間において神戸女学院は別格中の別格である。
良家に育ってかつ頭がめちゃくちゃいい才女が進学するならこの一択で、大阪育ちのわたしは様々な交友関係を通じその別格の度合いを後で思い知らされるという形で知ることになった。
ちょうどラインのアイコンをビト・コルレオーネに代えたばかりの二男である。
ミニイタリアンファミリーの組成は、自然派生的に着々と進んでいるとみていいようだ。
長男と二男が各自形作るミニイタリアンファミリーの相貌がどのようなものとなっていくのか。
二人の成長と併せて、これもまた見どころ満載であり目が離せない。