大阪下町。
街が光に映えて風さわやか。
歩くだけで気持ちがいい。
周辺とは一線画すほど見栄えする住居があって自ずと目に留まった。
玄関前には赤と青の国産車。
ちょうどそのとき家の主であろう夫妻が玄関から現れた。
通り過ぎつつ夫妻がクルマに乗り込む様子に目をやる。
身なりはカジュアルで、歳は四十代後半。
まったく気取ったところがない。
夫が自営業者で奥さんは専業主婦。
そんな風に見えた。
奥さんと目が合った際、どやという感じの上から目線を微かに感じたが気のせいかもしれない。
地域によってノーマルが異なるから住む場所が自尊心に影響を及ぼすことは否めない。
赤と青というクルマ2台を前面に擁すこの家は疑いようもなくここらでは圧勝一人勝ちであった。
一目瞭然で豊かであるから、余裕しゃくしゃくとなって目線も上からとなるのも致し方ないだろう。
ふと思う。
しかしこの地域での突出も、例えば場所を岡本夙川芦屋苦楽園あたりに移せば、ごく普通、後景に霞んで目立たないということになる。
そうなるとその奥さんの自尊心にも変化生じるかもしれない。
内面が確固としていれば周囲がどうあれ流されることはないのだろうが相対評価が幸福の指標となるタイプだと影響免れることは難しい。
多少なりでも負けん気や見栄が入れば、どやを維持せんがため過剰適応してしまい、その地のノーマルをかさ上げするくらいの役回りを担って、足をバタつかせつつ優雅な顔する水鳥のごとく、二つの暮らしを使い分けるということになる。
阪神間は中古の外車が最も売れる地域と言われる。
節税対策がその目的の大半だろうが、あまりに外車が普通の顔して走っているのでそれにつられ節税とは無関係に外車に乗るという場合も少なくないと想像できる。
やがて赤と青の国産車は外車に変わり、カジュアルだった身なりもブランド仕様になっていく。
いまやブランドも定額制レンタルが普及し高額なバックも時計もすっかり大衆化した。
だから工夫すればその地への適応は形だけなら難しくなく、しかし下町では不要だった小銭を失う分、得しているのか損しているのかよく分からないといった話になる。
そのように外面整えご機嫌麗しく振る舞い、上には上がいるから敵うわけがなく、内では手の平返したように不甲斐ない夫に呪詛の言葉を放ち、稼ぎについての愚痴がエスカレートしていく。
そして万策尽き、物量ではかなわないから現在地点での勝負は一旦おいて、過去と未来が主戦場となっていく。
話に小ウソが並ぶのは時間の問題で、出自についての嘘八百や学歴詐称や一山当てるといった与太話など序の口で、ここら地域では悲しいかな小ウソもエクボといったことになる。
そしてすべてのしわ寄せは黒衣である夫にのしかかる。
もしかしたら一緒になって夫も歌って踊ってその気になって後は野となれ山となれ、という場合もあるかもしれないがいずれにせよ上昇かなわぬ行き止まりであることに変わりはない。
やはり身の程に応じた鶏口牛後、せめて中の上という身の置き場を意識してキープしておかねばならないだろう。
平常心を保ててこその幸福。
環境が身丈に合えば見栄のため浪費することなく、身から出た小ウソに汲々とすることもない。
結果、小銭が節約できて心も円満、子らの世代では次のステージに自然と達する。
風に吹かれつつ結論に至ったとき、あの赤と青の夫婦はとっくにそういったことを知悉し、確信的にここに居を定めたのに違いないとわたしは気づいた。
そう、と涼しげ頷くあの奥さんの笑顔が目に浮かんだ。