KORANIKATARU

子らに語る時々日記

つい立てひとつで人は様変わりしてしまう

日曜朝5時、2号線を東に向いてひた走る。

 

夜中に目覚め、ひと仕事片付けようと思い立ちそう思うと、いてもたってもいられない。

しがない自営業の身。

休日であっても好きなだけ仕事できるくらいが役得だろうか。

 

先頭に赤のプリウス、次に軽自動車、続いてわたしのクルマ。

この3台が縦列になって走るほかクルマの影はほとんどない。

 

尼崎あたりでの信号待ちの後、赤のプリウスの出足が遅れた。

それに苛立ったのだろう。

軽自動車が赤のプリウスの左側面をかすめるように逆コの字を描き抜き去った。

 

サイドを抜ける際も前に出る際も接近しているから危険極まりない。

 

赤のプリウスはだから怒った。

前を走る軽自動車を猛追し、後ろから煽る。

 

そして再び信号待ち。

軽自動車、赤のプリウス、わたしの順に3台が縦に並ぶ。

 

ここで赤のプリウスのドライバーがクルマから路上に降りた。

軽に文句でも言いにいくつもりだろうが、出てきたのが線細くちんまいおじさんだったから、わたしは心配になった。

 

トランプのカードで言えばせいぜいクローバーの3。

 

軽からゴツゴツのおっさんや直情型のヤンキーが飛び出してくれば、ひとたまりもはいはずだ。

 

しかしわたしの心配は杞憂に終わった。

 

軽の運転手はどうやら平謝りしたようで、何事もなくまた3台が縦に並んで走ることになった。

ほどなくして軽は右折ラインに入り、隊列を離れ戦線を離脱した。

 

おそらく軽の運転手も、ちんまいおじさんの類だったのだろう。

だから後ろから人が駆け寄ってきたとき、正気に返って震え上がった。

 

このようにクルマというつい立てのなかに入ると、人は自分を取り違えがちになる。

クローバーの2やクローバーの3である自身の実像をうっかり忘れ、スペードのキングやクイーンにでもなった気になって、そう振る舞う。

 

これと似たようなことがネットの世界でも頻発しているのではないだろうか。

 

単細胞な言説をクラクション鳴らすみたいに強弁する者に限って、表に引きずり出せば、ちんちくりん。

もしかしたらそいつは本当に子どもなのかもしれず、まともに取り合えばこちらがバカをみる。

 

だから、つい立ての向こうの正体を見抜き一切相手にしないというのが最も懸命な処し方ということになる。

 

第一、思慮欠く狭量な叙述自体がその者の能力の限界を雄弁に物語っていて、実生活では不遇な日常を送っているに違いないと容易に推し量ることができる。

仮想空間においても追い打ちをかければ、気の毒に過ぎるという話だろう。

 

つい立てがひとつあるだけで、人は何かに変身してしまう。

本人にも分からぬ何かに変貌するから始末悪く手に負えない。

 

アクシデントに巻き込まれぬよう、つい立てあれば目を伏せ足早に走り去るというのが、大人の良識と言えるだろう。

たとえ自身がスペードのエースであったとしても、同じことである。

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