KORANIKATARU

子らに語る時々日記

些細なことが不可欠の要素になる

駅を降り二男のリクエストに応えスーパーに寄った。

リンゴとトマトとイチゴを買い牛乳も忘れない。


スーパーを後にしたとき電話が鳴った。

家内からだった。


こちらは薄暮が闇へと移り、星々が辺り憚らず輝き出そうとする時間帯。

向こうは星ひとつない真っ昼間。


家まで歩く道中、話を聞いた。

日頃の十分の一、ざっと二千語というところだろうか。


類まれなるコミュ力を存分に発揮しているようで、一人で旅する間に友だちが幾人もできたという。


この日は買い物の際、ゴージャズな中国人女性と知り合い仲良くなった。

Wechatのアドレスを交換し、彼女が興味を示す京都の写真をいくつも送って喜ばれ、そして日本での再会を誓い合った。


パリ滞在が楽しくつい長居してしまいプラハには行きそびれた。

が、明日にはパリを発ちブリュッセル、アムステルダム、ロンドンと回る。


そこまで聞いたところで家に着き、気をつけてとだけ言って電話を切った。


風呂を洗いつつ考える。

家内と電話ではじめて話したのはいつ頃のことだっただろう。


20年は遡る。

当然、子らも大きくなるはずである。


最初のうちはわたしの方がよく喋っていたかもしれないが、どちらが話すにせよ当時から段差なく自然な会話だったように思う。


無理に調子合わせたり取り繕ったり、会話を弾ませようと懸命になったり、沈黙が苦痛であったりということが全くなかった。


だからかれこれ20年、そのまま自然な調子で会話が続いているのかもしれない。


子らに伝えるとすれば、意中の人があったとして、電話での会話が自然体で行き来すればゴーサイン、ということになる。

案外、そういう些細なことが、長く続くために不可欠の要素になるのだろう。

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2019年5月21日 ボンマルシェ界隈

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2019年5月12日 フィンセントとテオ オーヴェール・ シュール・オワーズ