京都からの帰途、南森町に寄って業務を終えると午後7時。
昼日中の陽射しやわらぎ、そよ吹く風に心がなごむ。
さて、夕飯をどうしたものか思案しつつ電車に揺られ淀川を越えたとき、ふと「北斗の拳」の一シーンが頭をよぎった。
小舟に運ばれ修羅の国へと赴くケンシロウの姿をここら界隈に重ね合わせるとすれば、大阪市を後にして川向うにある尼崎市に向かうようなものである。
そこにはもっと強いやつらがうごめいている。
それでわたしはこの夜の夕飯を立花の正宗屋でとることにした。
阿倍野の正宗屋とは勝手が違うかもしれないが、いまさら後には戻れない。
カウンター席に腰掛けて、キリンの瓶ビールに続けてカツオのタタキと中トロ、そしておでんのすじ肉を注文した。
寡黙に酒すする周囲のおじさんらの視線を感じつつ、その場に自身を馴染ませていく。
中トロがシャーベット状であった以外、味は阿倍野正宗屋に遜色ない。
家内が留守の間、夕飯を求めあれこれいろんな店を渡り歩くかとも思ったが、結局スシローやラーメン屋や正宗屋と行き先はその数軒に限られた。
レパートリーの少なさが、自身の器を反映している。
ちょっとしょぼ目の店のカウンターがわたしにお似合いということである。
家内から届く写真をスクロールしていく。
当初は現地駐在の方のアテンドも想定していたが、結局、ぼっちの一人旅を遂行することになった。
わたしも若い頃はよく一人で旅した。
何もかもが新鮮で楽しいとはいえ、異国を巡るのであるから一定の緊張を強いられて、どの国においてもハプニングがつきまとい、朝飯前と気軽に過ごせることはなかった。
そう思えば、家内の行動力に感心するし、現地で人と交流するコミュ力などやはり見上げたものという他ない。
淀川を渡ったわたしより、家内の方こそケンシロウと言うに相応しいだろう。
もし家内が男だったらかなりの傑物になっていたのではないだろうか。
土台、わたしなど適うはずがない、そう思って次に、家内から生まれ出た二人の息子の姿が頭に浮かんだ。
この二人なら家内が男でも渡り合えるに違いなく、それもそのはず、二人ともが家内から生まれ出た。
家内が男だったら。
それが空想ではなく、二人の息子がそれを実写化していくようなものである。
一人旅についてはともに中3のとき、長男はゲルフ、二男はサマセットで果たしている。
小舟に乗って未知へと繰り出すケンシロウ体験をとっくに済ませているから、あとは修羅の国での活躍を楽しみに待つだけということになる。
わたしはと言えば、今日も働いて明日も働いて来る日も来る日も働いてということになる。
がしかし、マンガ読むよりはるかに見応えある実写版が身近にあるから、労苦は薄まり後ろに下がり楽しみの方が濃くてくっきり前にくる。